西本願寺(書院)

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[書院(対面所及び白書院) – 御影堂の南西に位置する。近世書院造を代表する建築の一つである。入母屋造妻入り、本瓦葺きで、平面規模は桁行(本建物の場合は奥行)38.5メートル、梁行(間口)29.5メートル。南側の対面所と北側の白書院から成るが、両者は元来別々の建物であった。本建物を豊臣秀吉伏見城の遺構とするのは俗説で、実際は後述のとおり江戸時代の建物である。対面所の主室は欄間に雲と鴻(コウノトリ)を透彫りにするところから、「鴻の間」とも呼ばれる。広さは下段のみで162畳、上段を含め203畳、天井は格天井とする。襖、壁等の障壁画は本願寺お抱え絵師の渡辺了慶の筆と推定されている。正面奥(北側)は東西方向に長大な上段とし、中央に大床(おおどこ)、左に帳台構を設ける。上段の東には床高をさらに1段高めた上々段があり、違い棚付書院を設ける。対面所の西側には雀の間、雁の間、菊の間があり、北側は納戸2室を挟んで白書院である。白書院は西から東へ三の間、二の間、一の間(紫明の間)からなる。一の間には変形10畳の上段があり、床、棚、付書院、帳台構を備える。なお、対面所と白書院三の間は、畳を上げると板敷きで、能舞台としても使用できるように工夫されている。寺の文書によれば、対面所は元和3年(1617年)の西本願寺の火災後まもなくの建築で、当初は御影堂の南にあったが、寛永10年(1633年)に現在地に移築したという。この時に対面所と白書院を合体させたものと推定され、したがって、白書院は寛永10年以前の建立ということになる。
東縁側に面して枯山水の「虎渓の庭」が設けられている。書院は原則非公開。期日を限って特別公開の行われる場合があるが、それ以外の時期の拝観には事前の許可が必要である。
書院(対面所上段・国宝)・wikipedia-photo、白書院三之間から一之間を望む(国宝)・wikipedia-photo  (「建造物|浄土真宗本願寺派 本願寺(西本願寺)」より)]

西本願寺境内図

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