源氏堀川館跡(左女牛井之跡)

マーカーは源氏堀川館跡(左女牛井之跡)碑です。

源氏堀川館跡(左女牛井之跡)
[堀川通グリーンベルト内に立つ。「左女牛井之跡」(さめがいのあと)の石碑が唯一の遺跡。この一帯に源氏が六条堀川館を構え、源義家源為義源義朝源義経までここを拠点にして、多くのドラマが演じられた。しかし義経が京都を逃れたあと焼き払われ、屋敷内にあった左女牛井が残った。後世に至るまで名水とうたわれたが、堀川通の拡張で破却された。  (「京都観光Navi:源氏堀川館跡」より)]

[左女牛井 跡
京の名水として平安時代より知られ、源氏の邸いわゆる六条堀川館の中にとりいれられていた。室町時代には、南都の僧村田珠光がこの畔に住み、茶道を興し足利義政も来遊したという。江戸初期元和2年5月、織田有楽斎はこれを改修した。内径二尺四寸の丸井戸であった。その後、天明の大火で埋もれたが、安政2年薮内家6世竹陰によって補修され、その碑が7世竹猗により建てられていたが、円井戸とともに第二次世界大戦最末期民家の強制疎開とともに撤去された。昭和44年 醒泉小学校創立百周年紀念事業の一つとして ここに碑をたて、名水を偲ぶよすがとした。(説明板)  (「京都市の史跡 六条堀川源氏館跡 左女牛井の碑」より)]

源氏堀川館跡(左女牛井之跡)資料リンク
都名所図会」・巻之二 平安城再刻 佐女牛井
佐女牛井(拡大図)

[佐女牛の井は醒井五条の南にあり。井筒に銘あり。
佐女牛井
元和二年有楽再建之
足利将軍公義政公茶道に籠せらるるとき、此水を愛し給ふとなり。今は用る人もなく、草茂り苔深く井筒も埋みかくる。されども泉はむかしにかはらず湧き出る也。李白が諺に、「石甃蒼苔を冷やし寒泉月明を湛ふ」これらの清泉をいふなるべし。]

カメラ西方向に「左女牛井之跡」(さめがいのあと)の石碑があります。

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