蓮光寺

マーカーは蓮光寺です。

国立国会図書館デジタルコレクション – [洛中絵図・洛外絵図]. [2]」(コマ番号2/5・絵図四つ切左上、五条橋右上方向に蓮光寺が描かれています。)

蓮光寺
[負別(ふべつ)山と号し、浄土宗の寺である。天台宗真盛(しんぜい)派の祖、真盛上人の開基にかかり、もと新町通松原にあったが、のち玉譽和尚がここに移して浄土宗に改めた。本堂本尊仏師安阿弥作と伝える阿弥陀如来である。その昔、安阿弥が東国の一僧の求めに応じ、阿弥陀如来を作った。安阿弥自らその会心の作なるを惜しみ、この像を取り戻そうとして僧のあとを追って山科のあたりまで行くと、僧の護持した仏像が自ら二体に分かれたので、二人はその各像を背負って東西に別れたと伝えられる。この本尊はその一体であるといわれ、山号もこれに因んだものである。境内には平清盛の駒を止めたという駒止(こまどめ)地蔵や長曽我部盛親(ちょうそかべもりちか)の墓がある。  (「京都観光Navi:蓮光寺」より)]

駒止地蔵
[駒止地蔵は弘法大師作と伝えられ、六条河原の刑場に祀られていたといわれている。鴨川の氾濫で一時期埋もれていたが、平清盛の乗った馬が近くを通った際、急に動けなくなり、周辺を掘りおこした時に発見された。以来、駒止地蔵尊と呼ばれ、信奉を集めるようになっている。
また、盗賊に襲われた信奉者の身代わりとなって首を切られたという伝説もあり、首切り地蔵とも呼ばれている。  (「蓮光寺 駒止地蔵 | 平清盛の京を歩く」より)]

長曽我部盛親公埋首地
[長曽我部盛親(1575~1615)は土佐戦国大名で,関ヶ原の戦後は京都に隠棲した。大坂の陣豊臣方に付き敗走し,山城八幡付近で潜んでいるところを捕えられ,元和元(1615)年5月,京都所司代板倉勝重(1545~1624)の命により斬首された。この石標は盛親の埋首地を示すものである。
所在地 下京区富小路通五条下る(蓮光寺前)
位置座標 北緯34度59分40.0秒/東経135度45分49.8秒(世界測地系)
建立年 1907年
建立者
寸 法 高206×幅27×奥行26cm
碑 文
[東]
明治四十年五月 有志者建之
[西]
長曽我部盛親公*首之地
調 査 2002年2月25日  (「SI039 長曽我部盛親公埋首地 – 京都市」より)]

蓮光寺 – Google Map 画像リンク」、「長曽我部盛親公埋首地 – Google Map 画像リンク

カメラ東南東方向が蓮光寺で、山門前右に長曽我部盛親公埋首地碑があります。

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