三条小橋

マーカーは三条小橋です。

三条小橋
[三条通高瀬川に架かる橋が三条小橋である。貝原益軒の「京城勝覧」には、『三条小橋高瀬川にわたせり。此下より舟にのり伏見にゆく。此邊より大橋の際まで旅篭屋多し。』と書かれている。また、「拾遺都名所図会」の「宿屋の夕刻」に『三十里に宿有、宿に路室ありといふは、教業坊の橋のほとりなるべし。』と記述されている。
※教業坊 – 三条小橋のある木屋町通から西に二辻いった、寺町通平安京の東限・東京極大路にあたり、平安京の大宮大路(東大宮大路)に当たる大宮通と寺町通(東京極大路)、二条通(二条大路)と三条通(三条大路)の区画は平安京では「教業坊」と名称がついていました。  (「平安朝小事典/平安京の概要」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第十 土山ヨリ京マデ」(コマ番号25/26)
絵図を右方向にスクロールすると、「三条大橋」と記述され、その左に「三条小ばし」と記述されています。

  
三条小橋資料リンク
中井家絵図・書類 | 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」 – 「寛永後萬治前洛中絵図(出版年 1642)」[絵図下に七つの舟入時代の高瀬川が描かれています。描かれていないあと二つは、松平長門守(長州藩)左の一画(二之舟入)と、小笠原右近と松平土佐守(土佐藩)の中間に描かれる一画(六之舟入)が舟入になると思われます。]

都名所図会」・巻之一 平安城再刻 生洲 (生簀)
生洲 (生簀)(拡大図)

[生洲(いけす)
生州といふは高瀬川筋三條の北にあり。川辺に楼をしつらひ、もろもろの魚鳥を料理て客をもてなし酒肴を商ふ。王祥が孝に感ぜし鯉も張翰が千里を思ふ鱸も、怱ち川辺の生洲に湛て都鄙の賓客をまつ。しかしながら婦人の来集、琴三弦の音曲を禁ず。むかしより此所の掟となんいひ伝へ侍る。]

拾遺都名所図会」・巻之二 左青龍尾 宿屋の夕刻

[初花をしたふ頃より、旅の鳫のかりかりと鳴わたるかりねの一夜に、姫ひな鳥の門に出て袖引笠引夕ぐれの塒いと賑し。周礼にいふ、十里に廬あり、廬に飲食あり、三十里に宿有、宿に路室ありといふは、教業坊の橋のほとりなるべし。
くたびれて宿かる頃や藤の花  ばせを]

京城勝覧. 上 / 貝原篤信 著 ; [下河辺拾水] [画]」・「三条小橋」(20)

カメラ位置は三条小橋です。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

*