三条東殿遺址

マーカーは三条東殿遺址碑です。

三条東殿遺址
[三条東殿は平安京左京三条三坊十三町にあった白河法皇(1053~1129)の院御所である。もとは,播磨藤原家保の所有であったが法皇の命で造進した。大治元(1126)年に法皇が入御。法皇死後待賢門院(1101~45)が伝領した。長承元(1132)年・仁平元(1151)年に焼失したが再建。この地を襲撃したことが平治の乱(1159)の端緒となり,この乱での焼失は『平治物語絵巻』に描かれる。のち再建され承久3(1221)年まで確認できる。この石標はその跡を示すものである。
所在地 中京区姉小路通烏丸東入南側(新風館前)
位置座標 北緯35度00分32.4秒/東経135度45分35.8秒(世界測地系)
建立年 1966年
建立者 京都市管理部
寸 法 高50×幅100×奥行12cm
碑 文
[北]
三条東殿遺址
[南]
昭和四十一年四月建之 京都市管理部
調 査 2002年2月6日  (「NA035 三条東殿遺址 – 京都市」より)]

カメラ南南東方向に三条東殿遺址碑があります。