マーカーは亀屋良永です。
亀屋良永
[1832年創業。京都府京都市中京区。]
[本能寺の門前、寺町通と御池通が交わる角地に亀屋良永はある。創業は天保三年(1832)。当初は「大文字屋庄三郎」という屋号だったが、万延元年(1860)に「亀屋」へと改称した。創業の地は柳馬場通御池を南に下がったところで、間もなく堺町通御池に移転し、長くこの地で商っていた。
昭和に入り、同店は歴史の荒波に翻弄されることとなる。第二次世界大戦末期の昭和二十年、御池通を拡張して防火帯をつくることになった。このとき亀屋良永は、店舗を強制撤去されたうえに疎開を余儀なくされ、やむなく休業に追い込まれたのである。筆舌に尽くせぬ苦労を強いられたのち、昭和二十七年に、ようやく現在地で菓子づくりを再開したが、すべてが一からのスタートだったという。代表銘菓の「御池煎餅」は、明治末ごろから同店でつくられていた煎餅を、戦後の再興に尽力した先代当主が改良したもの。 (「亀屋良永 | 京名物 百味會」より)]
「亀屋良永 (かめやよしなが) – 河原町/和菓子 [食べログ]」
カメラ西方向が亀屋良永です。