マーカーは亀末廣です。
亀末廣
[伏見醍醐の釜師であった初代・亀屋源助は、文化元年(1804)、京の街に出て亀末廣を創業した。そして、江戸時代には徳川将軍家が宿館とした二条城に、また、都が東京に遷るまでは、京都御所にも菓子を納める老舗となった。御所や二条城からの菓子の注文は、新たに特別注文されるのが通例で、そのたびに木型師が専用の木型をつくっていた。一回だけ使って用済みとなった木型がたくさん残っていたことから、これを額の部分に用いたのが、老舗が並ぶ姉小路通の中でも一際目を引く「御菓子司亀末廣」の看板である。
四季折々の草花を巧みにデザイン化し、風味と色彩豊かな「干菓子」で表現する手法を創案したのは、三代目当主であるといわれる。同店の代表菓子である干菓子の姿形や色彩は、そのまま俳句や和歌の素材にもなるような、風流を感じさせるものばかりである。 (「亀末廣 | 京名物 百味會 」より)]
[亀末廣の店舗はここ烏丸御池の本店のみである。明治29年に唯一暖簾分けした名古屋(中区錦)の“亀末廣”が奇しくも今年(2012年)の7月31日をもって廃業したことで、“亀末廣”の名前を冠する京菓子屋は本当にこのお店のみということになった。 したがって、これからご紹介する菓子も一部商品の例外的発送はあるものの、この烏丸御池のお店、この飴色の木のカウンター越しに手渡しで買い求めるしかない。ネット通販全盛のこの時代、逆に人肌の温もり、人情が直接通じあう商いのあり方にこだわる姿勢はまことに痛快この上なく、まさに見事というしかない。その商いのあり方や長い歴史を目で見、実感できるのが、亀末廣の建物外観、右読みの表看板、商家という語感そのままの店内造作、菓子屋とは思えぬ広い敷地などなどである。わたしはひそかな期待をもって亀末廣に足を踏み入れた。そしてまずカウンター上の菓子に素早く視線をめぐらせた。秋限定の“竹裡(ちくり)”があるか否かを確認しようとしたのである。そして・・・見つけた・・・「あった!!」 。 物資困窮の戦時下の昭和17年、京菓子作りの伝統を後世に残さんと、時の京都府が砂糖など特別の配給を行なうことで保護しようとして選抜した京都の“和菓子特殊銘柄18品”の一品である“竹裡(ちくり)”を求めるのが、今回の旅の大きな目的のひとつであった。だから、カウンターに置かれた“竹裡(ちくり)”を認め、「竹裡ありますか」と問うて、「はい」と言われた時は、掛け値なく本当にうれしかった。 (「“亀末廣”の“竹裡(ちくり)”が買えた~!!=旅人の見た京都のお菓子 …」より)]
カメラ北方向が亀末廣です。