二之舟入碑

マーカーは二之舟入跡碑です。

二之舟入跡碑
[高瀬川は,江戸初期の豪商角倉了以(1554~1614)素庵(1571~1632)父子によって開鑿され,京都の経済に重要な役割を果たした。高瀬川の舟入(船入)は荷物の積み下ろしと船の方向転換の場所で,古地図などによれば開鑿当初は二条~四条間に7か所作られ,17世紀末には9か所に増え,江戸時代中期には再度7か所に減少した。現在は一之船入だけが残る。この碑は当初7か所時代の二番目の舟入を表示したが,移設されて現在では9か所時代の二番目の舟入跡を表示するものである。
所在地 中京区木屋町通御池上る西側
位置座標 北緯35度00分40.7秒/東経135度46分13.2秒(世界測地系)
建立年
建立者
寸 法 高72×幅15×奥行15cm
碑 文
[東]
二之船入跡
[西]
寄贈京都洛中ロータリークラブ
[上面]
→【尖端西向】
調 査 2009年11月26日  (「二之船入跡 – 京都市」より)]

中井家絵図・書類 | 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」 – 「寛永後萬治前洛中絵図(出版年 1642)」[絵図下に七つの舟入時代の高瀬川が描かれています。描かれていないあと二つは、松平長門守(長州藩)左の一画(二之舟入)と、小笠原右近と松平土佐守(土佐藩)の中間に描かれる一画(六之舟入)が舟入になると思われます。]

カメラ西南西方向に二之舟入跡碑があります。

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