八坂神社 御手洗井

マーカーは八坂神社 御手洗井です。

八坂神社 御手洗井
[祇園祭の宵々山(7月15日)から還幸祭(同24日)の間だけ開放される井戸がある。オフィスビルが立ち並ぶ一角。鍵がかかった木の柵の中に、しめ縄で飾られた石の鳥居があり、額には「八坂神社 御手洗井」と記されている。鳥居の奥に井戸があり、くみ上げた水が絶えることなく流れ出ている。この地には、かつて祇園御旅所があり、祭られている牛頭(ごず)天王に、毎日この井戸の水を霊水として供えていたという。1568(永禄11)年に御旅所を移転させた織田信長も、水質が良いため、祇園祭の間は井戸を開放させたとされる。江戸時代の「都名所図会」には「祇園の宝殿の中には竜穴ありとなん。延久(1069-79)年間のころ、梨本の座主その深さをはからんとければ、五十丈にもおよびてなお底なし」とある。現在もあるとされている八坂神社の龍穴の話が形をかえ、町衆に伝わったのかもしれない。1970年ごろまでは、長刀鉾のお稚児さんが井戸開きの日にこの水で手を清めていたという。  (「八坂神社 御手洗井 – 京都新聞|ふるさと昔語り」より)]

[八坂神社の御旅所は、古くは「大政所御旅所」と「少将井(しょうしょうのい)御旅所」があり、前者には素戔嗚尊(大政所)と八王子が神幸し、後者には櫛稲田姫命(少将井の宮、少将井天王)が神幸していたが、1591年(天正19年)、豊臣秀吉の命によって四条京極の御旅所に統合された。少将井御旅所の旧跡には天王社が建てられたが、1877年(明治10年)、京都御苑宗像神社境内に遷された。現在では烏丸通竹屋町下ル付近に少将井、車屋町通夷川に少将井御旅町の地名が残されている。  (wikipedia・八坂神社 – 御旅所(境外社)より)]

資料リンク
都名所図会」・「巻之二 平安城再刻 手洗水」(図会の解釈お勧めサイト)

八坂神社御手洗井 – Google Map 画像リンク

カメラ東北東方向が八坂神社 御手洗井です。

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