マーカーは吉益東洞宅蹟です。
吉益東洞宅蹟
[ 吉益東洞(1702~73)は,安芸出身で元文3(1738)年京都に移り,古医方をもって医者となった。不遇であったが,解剖をして有名になった山脇東洋(1705~62)に見出された。その学説は,万病一毒説と親試実験にあって,実験医学の道を切り開いた。この石標は,吉益東洞宅の跡地を示すものである。なお,東洞の号は東洞院通に面して住していたことに因む。
所在地 中京区東洞院通竹屋町下る東側(竹間公園内)
位置座標 北緯35度00分56.7秒/東経135度45分39.8秒(世界測地系)
建立年 1929年
建立者 京都史蹟会
寸 法
碑 文 高98×幅18×奥行18cm
[南西]
名医 吉益東洞宅蹟
[南東]
昭和四年一月
[北西]
京都史蹟会建
調 査 2002年2月5日
備 考 竹間小学校・竹間幼稚園の碑(NA121)と並び立つ (「NA062 吉益東洞宅蹟 – 京都市」より)]
カメラ東北東方向に吉益東洞宅蹟があり、その右隣に竹間小学校・竹間幼稚園の碑があります。