豊臣秀吉妙顕寺城跡碑

マーカーは豊臣秀吉妙顕寺城跡碑です。

豊臣秀吉妙顕寺城跡
[この付近は、豊臣秀吉の妙顕寺城の跡地である。妙顕寺とは、鎌倉後期日像がはじめて京都に建立した日蓮宗寺院であり、たびたび場所は移ったが、戦国時代にはこの地にあった。天正11(1583)年9月。豊臣秀吉は寺を小川寺ノ内に移転させて、あとに二条新邸を構築し、天正14年聚楽第を造るまで、京都の政庁とした。建物の姿は詳しくはわからないが、周囲に堀をめぐらして天主をあげていたという。したがって屋敷というより城と呼ぶにふさわしいといえよう。平素は前田玄以が居住して京都の政務にあたり、秀吉が上洛すると、ここが宿舎となった。豊臣秀吉が次第に天下を握ってゆく間の、重要な政治的拠点であった。現在城跡はしのぶべくもないが、古城町という地名となって、よすがを伝えている。  京都市  (「城跡探訪・妙顕寺城」より)]

[妙顕寺は,元享元(1321)年日像(1269~1342)が開いた京都における最初の日蓮宗寺院。豊臣秀吉(1536~98)は,天正11(1583)年大坂城造営に着手すると共に京都では妙顕寺を首都経営の拠点とした。それに伴い寺院としての妙顕寺は,北方の寺之内地区に移された。天正14(1583)年,聚楽第が造営されるとその拠点機能を失った。この石標は妙顕寺城の跡を示すものである。なお,この地を古城町と呼ぶのは妙顕寺城に因むものである。
所在地 中京区押小路通小川西入北側
位置座標 北緯35度00分43.3秒/東経135度45分13.2秒(世界測地系)
建立年 1970年
建立者 京都市
寸 法 高116×幅18×奥行18cm
碑 文
[南]
豊臣秀吉妙顕寺城跡
[西]
昭和四十五年三月 京都市
調 査 2002年2月5日  (「NA005 豊臣秀吉妙顕寺城跡 – 京都市」より)]

カメラ北東方向が妙顕寺城跡碑です。