マーカーは旧前川家です。
旧前川家
[将軍警護のために江戸から徴集された浪士組は数日後「実は倒幕のための徴集」だったことを浪士組の立案者清河八郎から聞くことになる。その考えに賛同できなかった八木邸寝泊りメンバーは、朝廷から許可を貰い江戸に帰還して攘夷を断行する清河等と別れ京都に残留し「新撰組」となる。会津守護職御預の建前もあり隊士は増え、八木邸だけでは足りなくなったのでこの前川邸も屯所にされた。旧前川邸。所有者が変わっていて現在は「株式会社 田野製袋所」となっている。9年前に訪れた時は内部は非公開だったが、昨今の幕末ブームのおかげで今は庭は公開していて母屋の一部がお土産屋となっている。長屋門は当時の面影が残ってる。公開されているのは庭までなのが残念だが、前川邸の土蔵は倒幕の過激派の一人古高俊太郎拷問の場所。のちに池田屋事件に繋がることになる。 (「京都府 旧前川邸 -underZero-」より)]
[八木邸と隣接する前川邸もまた、初期の新撰組の屯所として利用されました。ここでは近藤勇、土方歳三を始めとする幹部が寝泊りしていたとされます。有名な池田屋騒動の発端となった、古高俊太郎への拷問がこの前川邸の土蔵で行われました。その後、新撰組総長であった山南敬助は、脱走の嫌疑から(諸説紛々あるため真偽は定かではない)この前川邸の一室で切腹して遂げました。
残念ながら旧前川邸は個人所有であるため土曜・日曜・祝日に門と入口付近を公開されるだけですが、外観からも当時の姿に思いを馳せることができます。 (「京都新発見サイト 逸都物語 – 旧前川邸 ~ 当時の姿を残す、壬生狼の拠点」より)]
カメラ南東方向が旧前川家です。