マーカーは本家月餅家直正です。
本家月餅家直正
[月餅家の初代は、大名へ金を貸し付ける「大名貸し」を行う金融業を大津(滋賀県)で営んでいました。大名貸しは江戸幕府の御用金の貸付なども行うことから有力商人しかできず、初代も茶の湯や謡いに興じる趣味人で裕福な暮らしぶりでした。しかし、幕府の衰退とともに家運が傾き、大津から京都に出て、現在のお店がある木屋町の借家に入ったといいます。お茶人だった初代は懐石料理やお菓子も作れる腕前。生菓子しかない時代、お茶席で食べなかったお菓子は懐紙に包んで袂に入れて持ち帰るのですが、生菓子は袂が汚れるので「焼き菓子があったらいいなー」と常々思っていたといいます。そこで考案したのが「オーブン窯」と呼ぶ、上下に炭を入れて焼き菓子を作る土窯です。これにより誕生したのが、店名にもなっている焼き菓子「月餅(つきもち)」です。名前は謡曲から命名しました。こんがりキツネ色に焼いた砂糖と小麦粉の生地の中に、白小豆とテボ豆(白インゲン)をブレンドした餡の入った月餅は当時大変な評判になりました。 (「本家月餅家直正|老舗|京を知る・学ぶ|そうだ 京都、行こう。~京都」より)]
[この月餅は、日本の焼き饅頭の元祖である。本家月餅家直正の創業は文化元年(1804年)。当初、月餅を「げっぺい」として販売したが、客が「つきもち」と呼んだため、店主が「こうなったら、もう、”つきもち”で良いですわ」的に「つきもち」が正式名称になった。客に合わせるのが、関西の客商売の基本であったことを思い起こさせるエピソードである。折も日本は鎖国の時代。客はおろか、店主も中国に月餅(ゲッペイ)という菓子があることなど、つゆも知らなかったらしい。月餅は、直径5cm,高さ2.5cmぐらいの円柱形で、上部表面にケシが散らされている。中には白餡が入っている。味は、中国のゲッペイに比べ、上品で、甘い。1つ150円。 (「月餅 By 本家月餅家直正 – たぬき日記」より)]
「月餅家 直正 (つきもちや なおまさ) – 京都市役所前/和菓子 [食べログ]」
カメラ東方向が本家月餅家直正です。