染殿院(染殿地蔵・一遍上人念仏賦算遺跡)

マーカーは染殿院です。

染殿院 木造地蔵菩薩立像(染殿地蔵)
[林万昌堂本店、店内を抜けたところにひっそりと建つお寺。名前を「染殿院」といいます。
ここは弘法大師こと空海の開いたお寺。その霊験もあらたかでその昔、文徳天皇の后であった藤原明子に皇子が授からないことから、この地蔵堂に参り17日の願をかけたところ、満願の日に懐妊の兆候があり、後の清和天皇を授かったといういわれがあります。
そのことから、このお寺は藤原明子の後の名前、染殿皇后にちなみ、染殿地蔵尊、「そめどの地蔵」と呼ばれるようになりました。
「染殿院」のご本尊は、地蔵菩薩。この菩薩様は高さが2m余りの木彫裸形の立像と言われていますが、その公開は50年に一回。  (「周辺地域紹介|京都お土産・甘栗和菓子の林万昌堂」より)]

[天正年間に行われた豊臣秀吉の区画整理で、市中に散在していた寺院が現在の寺町通に沿って集められましたが、現在の新京極周辺は浄土宗西山派誓願寺時宗金蓮寺(四條道場)という二つの大寺院の境内地でした。ところが明治になり都が東京に移った際、沈滞した京都市民を元気づけるために当時の京都府参事・槇村正直(後の京都府知事)が明治5(1872)年に歓楽街をつくることを計画。その場所として目をつけたのが、誓願寺や金蓮寺の参拝客目当ての見せ物小屋が建っていた現在の新京極だったのです。
染殿院の歴史は古く、大同3(808)年に弘法大師空海により開かれました。で修行を終えた空海が「十住心論」をこの地で清書調巻したことから十住心院とよばれます。その後、釈迦院、敬禮寺、清和院釈迦堂・・・と様々に呼び名が変わるものの、本尊の染殿地蔵により、染殿院として現在は親しまれています。現在の染殿院の建物は、元治元(1864)年の蛤御門の変(禁門の変)で生じた“どんどん焼け”で焼失した後に建てられた仮堂だそうです。  (「染殿院 – 第二京都主義」より)]

一遍上人念仏賦算遺跡
[時宗の開祖一遍(1239~89)は,弘安7(1284)年閏4月16日,近江国関寺からこの地にあった釈迦堂に入り,7日間滞在して賦算踊り念仏を行った。賦算とは南無阿弥陀仏の名号を書いた算(ふだ)を賦ることで,この算をもらおうと貴賤上下が群をなしたと伝えられる。その後,応長元(1311)年,この地に金蓮寺が創建され,時宗四条派の本山となり四条道場と称された。江戸時代には衰退し,天明8(1788)年の大火で焼失。のち再興されたが,大正15(1926)年現在地(北区鷹峯藤林町)に移転した。この石標は一遍ゆかりの四条道場跡を示すものである。
所在地 中京区新京極通四条上る西側
位置座標 北緯35度00分13.1秒/東経135度46分03.0秒(世界測地系)
建立年 1983年
建立者 山羽ヒサ
寸 法 高186×幅30×奥行23cm
碑 文
[東]
時宗開祖
念仏賦算遺跡
一遍上人
[南]
昭和五十八年十一月
染殿院 山羽ヒサ 時年八十四
建之
調 査 2002年8月13日  (「NA120 一遍上人念仏賦算遺跡 – 京都市」より)]

カメラは甘栗の老舗「林万昌堂」店内カメラで、カメラ北方向が染殿院です。染殿院に行くには四条通に面した林万昌堂の店内を通るか、新京極通の狭い道を通る方法しかない。(甘栗の老舗 林万昌堂 本店 (はやしまんしょうどう) – 河原町/和菓子 [食べログ])

染殿院前のカメラです。

カメラ位置は染殿院前で、カメラ東南東方向が新京極通口で、入口北側に「一遍上人念仏賦算遺跡」碑があります。

資料リンク
都名所図会」・「巻之二 平安城再刻 四条道場 (金蓮寺・四条道場)」 、「巻之二 平安城再刻 錦綾山金蓮寺 (金蓮寺・四条道場)解説」、「巻之二 平安城再刻 十住心院解説」(十住心院は四条道場の南口にあり、真言宗にして、本尊地蔵尊は弘法大師の作なり、染殿皇后常に尊信ありて当院を建立し給ふ、故に染殿地蔵と称す。)

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