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梛神社、隼神社
[梛神社
梛神社(なぎじんじゃ)は、京都市中京区壬生にある神社である。元祇園社とも呼ばれる。現在は「元祇園 梛神社 (もとぎおん なぎじんじゃ)」と呼ばれている。 境内には大正時代に式内大社隼神社(はやぶさじんじゃ)が遷座している。ともに厄除けの神として信仰されている。
梛神社は素戔嗚尊を主祭神とし、宇賀御魂命・伊弉冉命・誉田別尊などを配祀する。貞観11年(876年)、播磨国広峰から牛頭天王(素戔嗚尊)を勧請して鎮疫祭を行った際、牛頭天王の分霊をのせた神輿を梛の林中に置いて祀ったことに始まると伝えられる。後に牛頭天王の神霊を八坂に祀って現在の八坂神社が創建されたとき、梛の住民は、花飾りの風流傘を立て、鉾を振り、楽を奏しながら神輿を八坂に送ったといい、これが祇園会の起源であるとしている。また、このことから当社は「元祇園社」と呼ばれる。
隼神社
隼神社は、建甕槌神を主祭神とし、経津主神を配祀する。ただし、国史では祭神は「隼神」と記載されている。延喜式神名帳に「京四條坐一座 隼神社」として記載される古社で、大社に列している。延喜式神名帳には京中に3座3社が記載されているが、他の2社は廃絶している。元は蛸薬師坊城(現 中京区壬生御所ノ内町)にあった。貞観2年(860年)に従五位下の神階を贈られ、天慶16年に従四位上まで昇った。江戸時代には隼は訛って「ハヤクサ」と読まれ、そこから瘡(くさ。皮膚病の一種)の平癒に霊験ありとされるようになった。大正7年(1918年)、現在地の梛神社境内に遷座した。
鳥居・wikipedia-photo
「左が梛神社、右が隼神社」・wikipedia-photo
(wikipedia・梛神社より)]
「拾遺都名所図会」・巻之一 平安城 壬生隼社 (隼社)[戦前まで壬生寺の西側は田畑が多く残っており、江戸時代の「拾遺都名所図会 巻之一 平安城51頁:壬生隼社」(現代で言う所の絵解き京都観光ガイドブック)にも登場する壬生菜(みぶな:京野菜の一種)の産地として名を馳せていた (wikipedia・壬生_(京都市)より)]、巻之一 平安城 壬生隼社 (隼社)解説
壬生隼社 (隼社)(拡大図)
[壬生隼社
水菜は京の名産也。殊に洛西壬生(らくさいみぶ)の地は火味にして、株小く茎の筋細く多くあり。故に千筋蝉菜などいふ。一説に水菜にあらず、壬生菜なりとぞ。畑より引て土ながら桐などの箱に入、かたく封じて廿日三十日の遠路へ遣し、これを開き水をそそげば青み出て、又元の如し。これ風土の奇なるべし。]
梛神社、隼神社参道前のカメラです。
カメラ西方向突当り、左が梛神社、右が隼神社です。