橘逸勢邸址

マーカーは橘逸勢邸址碑です。

橘逸勢(たちばなのはやなり)邸址
[平安京左京三条二坊十一町にあった*松殿(はいまつどの)と呼ばれた橘逸勢(?~842)の邸宅。逸勢は延暦23(804)年留学生として入唐,大同元(806)年帰国。「橘秀才」といわれ,三筆の一人に数えられる。承和の変(842)で罪なくして遠流に処せられ,伊豆下向途中の遠江で病により没した。そのため御霊として祀られ,邸宅跡に橘逸勢社が建てられたが焼失した。この石標はその邸宅の跡を示すものである。
所在地 中京区姉小路通東堀川東入上る東側
位置座標 北緯35度00分35.0秒/東経135度45分09.4秒(世界測地系)
建立年 1916年
建立者 京都市教育会
寸 法 高116×幅18×奥行18cm
碑 文
[西]
橘 逸勢邸址
[東]
大正五年五月建之 京都市教育会
[南]
昭和三年六月 京都史蹟会引継
調 査 2002年2月6日  (「橘逸勢邸址 – 京都市」より)]

カメラ東北東方向に橘逸勢邸址碑があります。