瑞泉寺

マーカーは瑞泉寺です。

国立国会図書館デジタルコレクション – [洛中絵図・洛外絵図]. [2]」(コマ番号2/5・絵図四つ切左下、三条大橋右上に瑞泉寺が描かれています。)

瑞泉寺
[瑞泉寺(ずいせんじ)は、京都府京都市中京区木屋町通三条通下ル石屋町にある浄土宗西山禅林寺派の寺院である。山号は慈舟山。桃山時代ここは三条河原の中洲であった。高瀬川の工事中に偶然発見された石に秀次悪逆塚と刻まれていた。それは文禄4年(1595年)自害させられた、豊臣秀次の石塔だった。実は高瀬川の開削責任者だった京都の豪商、角倉了以の実弟・吉田宗恂は、秀次に仕えていた。秀次事件への連座は免れたが、慶長15年(1610年)に亡くなっていた。宗恂の一周忌の慶長16年(1611年)に、了以は秀次の菩提を弔うために、秀次の戒名「瑞泉寺殿」から名を取り、瑞泉寺を建立した。瑞泉寺は建立以来400年間にわたり秀次事件により死罪となった秀次と連座した一族・家臣の菩提を供養してきた。この地は観光地の近くとあって、当寺院に来訪する人が多く、秀次と一族・家臣の菩提に向かって、手を合わせる人が絶えることがない。
山門

境内にある秀次の墓。中央には碑銘の削られた中空の石櫃がある

  (wikipedia・瑞泉寺_(京都市)より)]

カメラ東方向が瑞泉寺山門です。

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