相馬中村藩相馬家京屋敷跡

マーカーは相馬中村藩相馬家京屋敷跡です。

[相馬中村藩は1868年の戊辰戦争では南隣の磐城平藩や北隣の仙台藩とともに奥羽越列藩同盟に参加し、7月(旧暦)には浜街道を北上してきた明治政府軍に対して、仙台藩米沢藩と連携して応戦した(磐城の戦い)。しかし、既に同盟側の敗色が濃厚であり、早々に明治政府軍側に降伏方法を打診。7月29日(旧暦)には同盟側の藩兵への糧食の供給を停止、8月2日(旧暦)に開かれた重臣会議により同盟からの離脱と降伏を内定した。仙台藩の重臣からの抗議を受けたものの決定は覆されず、8月7日(旧暦)には明治政府軍である薩摩藩長州藩らの藩兵、奥羽鎮撫総督四条隆謌中村城に入り、名実ともに降伏が決定した。これ以後、中村城は明治政府軍の支配拠点となり、中村城は解体された。  (wikipedia・相馬中村藩より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 文久改正新増細見京絵図大全(文久3 [1863])」(絵図中央右上・丸太町通柳馬場通下ルに相馬と記述されています。)

西尾市岩瀬文庫/古典籍書誌データベース – 京町御絵図細見大成(1868)」(絵図中央右上・丸太町通柳馬場通下ルに相馬と記述されています。)

かめら位置は京都地方裁判所西口前で、カメラ東方向に相馬中村藩相馬家京屋敷があったと思われます。