マーカーは管領畠山持国屋敷跡です。
管領畠山持国屋敷跡
[京都地方裁判所の庁舎は,京都市街のほぼ中央,京都御苑の南向かいに位置し,長い歴史に彩られてきた場所にあります。平成9年10月から平成11年1月まで現庁舎の建設工事に先立ち,財団法人京都市埋蔵文化財研究所に委託して庁舎敷地の発掘調査が実施されました。
平安時代,当地は平安京の一部であり,「左京二条四坊十町」に当たりました。平安時代から鎌倉時代にかけて,白河法皇・後鳥羽上皇らの御所になった「春日殿(大炊御門殿)」(かすがでん(おおいみかどでん))があり,周辺にも天皇・皇族や位の高い貴族の邸宅がありました。出土した土器類は大きな破片が多く,完形に復元できた個体も多くあり,土師器,須恵器が大部分を占めます。なお,「春日殿」には新古今集の女流歌人として知られる後白河天皇の皇女式子内親王(1149~1201)が住まいされたことがありました。
室町時代,幕府の要人であった管領畠山持国の邸宅がありました。その後,京都の町は応仁の乱で一旦焼けますが,当地は繁栄していたとされています。 (「裁判所|裁判所の中のミニ博物館」より)]
「京師地圖 : 全 : 中昔」[左絵図・絵図中央下、東西の通り、春日小路(現丸太町通)と大炊御門大路(現竹屋町通)、南北の通り、万里小路(現柳馬場通)と富小路(現富小路通)に囲われた場所に畠山政長と描かれている場所が管領畠山持国屋敷です。]
カメラ南方向が管領畠山持国屋敷跡に建つ京都地方裁判所です。