角倉了以別邸跡碑

マーカーは角倉了以別邸跡碑です。

角倉了以別邸跡
角倉了以(1554~1614)は,国内諸河川の開発整備に従事し,慶長11(1606)年に大堰川淀川富士川を疎通させた。慶長16(1611)年この地二条より鴨川の水を引き伏見に達する高瀬川を開削し,京都伏見間の水運を開通させた。明治維新後,角倉家は高瀬川支配を罷免され,府に移管された。この辺り一帯は角倉家の邸地であった。この石標はその跡を示すものである。
所在地 中京区木屋町通二条下る東側
寸 法 高134×幅23×奥行23cm
碑 文
    [西]
    角倉了以別邸跡
    [北]
    高瀬川源流庭苑
調 査 2002年8月22日    (「NA123 角倉了以別邸跡 – 京都市」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – [洛中絵図・洛外絵図]. [2]」(元禄8~同15[1695~1702]コマ番号・2/5 – 絵図四つ切左下・「」の右に「角倉与一(素庵)[元亀2年6月5日(1571年6月27日) – 寛永9年6月22日(1632年8月7日)]」屋敷が三か所描かれています。この別邸は水路が描かれている邸になります。)

カメラ東北東方向、がんこ二条庵右端に角倉了以別邸跡碑が設置してあります。

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