辨慶石

マーカーは辨慶石です。

辨慶石
[辨慶石はこの石標の横に置かれている石。石標に示す『山州名跡志』巻十七には,弁慶の愛した石で,弁慶の死後奥州にあったが,京都の三条京極へ行きたいと声を発したので,この地に移したと記す。しばらく新京極の誓願寺に預けられていたが,明治26(1893)年にこの地に戻り民家内に置かれ,昭和4年に三条通沿いの現在地に移された。町名弁慶石町はこの石にちなむ。この石標は辨慶石の所在を示すものである。
 なお,京都に所在し弁慶石と呼ばれた石についてはさまざまな伝承があり,瀬田勝哉「弁慶石の入洛」(瀬田『洛中洛外の群像』1994年平凡社刊に収める)にまとめられている。
所在地 中京区三条通麩屋町東入北側
位置座標 北緯35度00分31.3秒/東経135度45分57.3秒(世界測地系)
建立年 1893年
建立者
寸 法 高124×幅17×奥行13cm
碑 文
[南]
辨慶石
[西]
此石ノ由来ハ山州名跡志巻ノ十七ニ詳記アリ
[北]
百七十九代総代 矢野勝次郎
明治廿六年三月建之
委員 北邨常七
[別置銅板]
辨慶石の由来
この石は辨慶が熱愛したと謂はれ
辨慶は幼少の頃三条京極に住み死後
この石は奥州高館の辺にありましたが
発声鳴動して「三条京極に往かむ」といひ
その在所には熱病が蔓延したので
土地の人が恐怖し亨徳三年(約五百年前)
三条京極に移し以来当町を辨慶石町
と称するに到りました
その後市内誓願寺方丈の庭に移りましたが
明治二十六年三月町内有志者により当町へ
引取られ 昭和四年七月十二日この場所に
建立されたものであります  英香書
平成八年四月
京都市中京区三条通辨慶石町
調 査 2003年11月4日  (「NA136 辨慶石 – 京都市」より)]

カメラ北北東方向に辨慶石があります。