野口家(花洛庵)

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野口家(花洛庵)
[油小路通を下がり、錦小路通をすぎると西側に野口家がある。享保18年(1733)に現在地で呉服商を創業したのが始まり、蛤御門の変で焼失したが直ちに再建されて現在に至る。明治4年に伏見桃山にあった小堀遠州屋敷から書院と茶室を譲り受け改築された。室内の欄間や釘隠しなど貴重な物が多く残されている。  (「秀吉・家康の京都大改造の址を歩く」より)]

[享保18年(1733)初代金屋安兵衛が油小路四条上るにて呉服商・両替商を暖簾分創業。元治の大火後、再建された町家に明治4年、伏見奉行・小堀遠州の屋敷を創業地に移築。昭和59年、京都市の文化財指定となる。大正時代より、山鹿清華岸本景春上村松園などの染織研究会を創設。新しい技術や意匠に熱心な7代目により「小紋の野口」の異名をとり、オリジナル製造問屋として今に至る。  (「野口 – 京を語る|情報誌『京都』 」より)]

[元治元年(1864)の大火後の再建で,店舗棟と奥の居住棟を玄関棟で接続した表屋造り形式である。座敷は伏見の小堀屋敷にあったとされるものを明治4年(1871)に移建したもので,12畳半の主室と次の間から成る。数寄屋風書院の構えで,長押の釘隠し金物や天袋の引手金具の意匠が秀逸。  (「京都市指定・登録文化財-建造物」より)]

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カメラ西方向が野口家(花洛庵)です。