高松殿址・高松神明神社

マーカーは高松神明神社です。

高松殿址・高松神明神社
[醍醐天皇の皇子 源高明(たかあきら)の邸宅跡。娘の明子(高松殿)が伝領の後、後白河天皇がこの地で即位しました。保元の乱では後白河陣営の本拠地となり、源義朝平清盛らがこの地に参集、平治の乱で全焼しましたが、鎮守社の高松神明神社だけが今も残っています。  (「平安京貴族邸跡 – 京都市埋蔵文化財研究所」より)]

高松殿址
[高松殿は,平安京左京三条三坊三町にあった邸宅。源高明(914~82)に始まり,高明の娘で道長妻となった明子が伝領し高松殿と称された。その後嘉保2(1095)年白河上皇(1053~1129)の院御所としたが,その所有者は院近臣の藤原顕季であった。康和5(1103)年宗仁親王(鳥羽天皇)の誕生に際し,一連の祝儀が当殿で挙行され,長じて鳥羽上皇(1103~56)の院御所となった。久寿2(1155)年後白河法皇(1127~92)はこの地で位につき,以降里内裏となった。保元の乱(1156)では,天皇方の拠点となり源義朝(1123~60)や平清盛(1118~81)が参集した。平治元(1159)年に焼失した。この石標は高松殿の跡を示すものである。
所在地 中京区姉小路通釜座東入北側(高松神明社前)
位置座標 北緯35度00分35.4秒/東経135度45分21.7秒(世界測地系)
建立年 1915年
建立者 京都市教育会
寸 法 高121×幅18×奥行18cm
碑 文
[南]
此附近 高松殿址
[西]
寄付者 柏光定
[北]
大正四年十一月建之 京都市教育会
調 査 2002年2月6日  (「NA036 高松殿址 – 京都市」より)]

高松 神明神社 – Google Map 画像リンク

カメラ北方向・高松神明神社鳥居左に高松殿址碑があります。