三栖神社・金井戸神社(三栖神社御旅所)

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    三栖神社
    [三栖神社には、「区民誇りの木」にも選ばれた大きなイチョウの木があり、東高瀬川からもその雄大な姿がよく見えます。神社から東へまっすぐ進むと、濠川にかかる肥後橋の東詰に金井戸神社があります。ここは、「三栖神社」(みすじんじゃ)という扁額のかかった鳥居があるように三栖神社の御旅所でした。
     三栖神社の祭神天武天皇です。672年、大海人皇子(天武天皇)大友皇子の間で皇位をめぐって壬申の乱が起こりました。この乱の折に天武天皇が三栖の地を通過され、このときに村人がたいまつ炬火(たいまつ)をともし暗夜を照らして歓迎したと言われています。
     毎年秋に行われる炬火祭はこの伝説に由来しています。担がれる炬火は、直径約1m20cm、長さ5m弱、重さ1t以上もある大きなものです。午後8時に京阪中書島駅付近で点火され、竹田街道を京橋まで巡行します。
     この祭りは、戦後一時途絶えていましたが、平成元年に地元の熱い思いによって再興されました。京都市登録無形民俗文化財です。  (「京都市伏見区役所:伏見区あれこれ : ふしみ昔紀行(平成16年9月)」より)]

    三栖神社「炬火祭」(きょかさい)
    [直径1メートルもある大きなタイマツを燃やしながら練り歩く三栖神社の炬火祭は、毎年10月に開催される(夜8時タイマツに点火)。「のちに天武天皇となった大海人皇子が、天智天皇の子・大友皇子と戦った壬申(じんしん)の乱で、援軍が三栖を通過した時、かがり火を焚いて村人が歓迎した」「天武天皇が大津京への行幸にあたり立ち寄られた際、暗夜を照らした」などの伝説に由来する。
    三栖周辺は宇治川や、かつて横大路沼などがあり、特産のヨシを使ったすだれやセイロなどの製造りが盛んだった。このヨシでつくったタイマツで、中書島から京橋までの竹田街道は巨大な炎につつまれる。  (「酒どころ伏見の大祭 御香宮「神幸祭」、三栖神社「炬火祭」 伏見文庫 」より)]

    三栖の祭り情報ページ

    資料リンク
    国立国会図書館デジタルコレクション – 伏見桃山御殿御城之画図」(明治14写し絵図右下・肥後橋下方向に「宮」と描かれています。)

    拾遺都名所図会」・「巻之四 前朱雀 天武天皇社」、「巻之四 前朱雀 天武天皇社解説
    天武天皇社(拡大図)

    [図会左ページ下に天武天皇社(三栖神社)が描かれ、その上に善福寺が描かれています。]
    [善福寺は通称を上三栖の薬師堂と称され、このお堂の前身は黄檗山万福寺派に属する医王山善福寺という寺で「山城名勝誌」には行基の開基による真言宗の名刹でお堂は唐様の堂々としたものであったと伝わる。本尊薬師如来像も行基の作と伝わるが真偽は定かではないが、「医王山」と記された扁額の裏に万福寺の開山隠元の署名と再建の文字が刻まれている事から少なくとも江戸時代初期に真言宗から黄檗禅宗に移り寺も再建されたが現在に至り何故にかくも凋落してしまったのかは不詳です。  (「源氏物語ゆかりの華庭」より)]

    三栖神社 – Google Map 画像リンク

    カメラ西方向が三栖神社参道です。

    カメラ南方向が金井戸神社(三栖神社御旅所)です。

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