上久我城跡(妙昌寺)

マーカーは妙昌寺です。

上久我城跡
[久我殿跡は平安時代後期に久我家の邸宅があったところです。一帯は、河川や池、森が幽玄に広がり、遠くに山々が連なって自然の景観が多く、「久我の水閣」とも呼ばれました。 1033 年、久我家の祖となる右大臣源師房の別邸に始まり、それ以降、長い間にわたって久我荘は苗字荘園として久我家の支配が続きました。

久我殿跡推定地

久我 羽束師の居館跡
中世、久我 羽束師には、南北朝動乱以後、防御のための土塁や堀に囲まれた在地領主の居館跡が点在し、今も道沿いには民家の石垣や用水路にその跡がしのばれます。羽束師菱川城跡志水落合城跡古川城跡、上久我城跡、東土川城跡が知られ、堀や土塁に囲まれた室町時代の面影を今に伝えます。
久我村には、妙昌寺・満願寺・本清寺・妙真寺・福正寺などの日蓮宗の寺があります。これらの寺々は、日蓮宗の信者で久我家の諸大夫であった竹内季治(すえはる)が久我預所を管理したことにより、 1567 年に宗派を日蓮宗に改宗し今日にいたっています。  (「40.久我 羽束師 – 京都市埋蔵文化財研究所」より)]

[永禄七年(1564年)に建立されました。京都妙覚寺の住職、日典上人(日蓮宗妙覚寺の20世)が開基です。境内に法華経を守護する女神・七面大名神があります。  (「妙昌寺 京都伏見 久我 – 京都府京都市伏見区の株式会社吉村 …」より)]

妙昌寺 – Google Map 画像リンク

カメラ東方向が上久我城跡に建つ妙昌寺山門です。

カメラ南東方向が、上久我城跡南辺に残る上久我城堀跡で、この地は洪水が多くカメラ方向の蔵は段蔵造となっています。