久我神社

マーカーは久我神社です。

久我神社
[京都古社の一つで、祭神は上賀茂神社と同じ建角身命(たけつねみのみこと)・玉依比売命(たまよりひめのみこと)・別雷神(わけいかづちのかみ)の三神です。また、久我の地に勢力を誇った久我氏の祖神を祀っています。社伝によれば長岡京遷都に際し、王城の良角(うしとらすみ)の守護神として祀ったのが始まりとされます。  (「40.久我 羽束師 – 京都歴史散策マップ – 京都市埋蔵文化財研究所」より)]

[久我神社略史
由緒
神社の旧記によれば、八世紀末、平安遷都に先立ち、桓武天皇が山背長岡に遷都され た延暦三年(七八四)頃、王城の艮角の守護神として御鎮座になった(秘伝神書抄)と伝えられ、以来千二百年の星霜を経た延喜式内社であり、久何神社とも号する。
一説には当社は往古、山背久我国造として、北山城一帯に蟠踞した久我氏の祖神、興我萬代継神(三代実録)を祀った、本市における最も古い神社の一つであり、久我氏 の衰頽後、賀茂氏がこれに代わってその始神を祀ったのではないか。また、他の説では、起源は古く、平安・長岡遷都以前に遡り、「山城国風土記」逸文に云う賀茂氏が 大和から木津川を経て、この久我国(葛野乙訓にわたる地方の古称)の伏見地方に居をすえ、祖神を祀ったのが、当久我神社であり、更に賀茂川を北上して今の賀茂の地に鎮まったと考えられる。と。
これらの事から、いずれにしても、歴史的に頗る深い由緒と信仰の跡を偲ぶことがで きるのである。尚、興味あることとして当地方の西の方(乙訓座火雷神)から丹塗矢が当社(玉依比売命)にとんできて、やがて別雷神が生まれられたとも、此の里では 伝承されている。  (「久我神社 京都市伏見区久我森の宮町8-1 – 神奈備にようこそ」より)]

久我神社 – Google Map 画像リンク

カメラ北北東方向が久我神社参道です。