伏見稲荷大社

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    伏見稲荷大社(楼門)伏見稲荷大社(外拝殿、内拝殿)伏見稲荷大社(本殿、権殿)伏見稲荷大社(玉山稲荷社)伏見稲荷大社(奥宮)伏見稲荷大社(千本鳥居)伏見稲荷大社(奥社)伏見稲荷大社(御茶屋)伏見稲荷大社(稲荷山)

    伏見稲荷大社
    [伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)は、京都府京都市伏見区深草薮之内町にある神社。式内社名神大社)、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は単立神社となっている。
    旧称は「稲荷神社」。1946年に現社名に改称した。稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山全体を神域とする。全国に約3万社あるといわれる稲荷神社の総本社である。
    京都盆地東山三十六峰最南端の霊峰稲荷山の西麓に鎮座する稲荷信仰の御本社。その信仰は稲荷山の3つの峰を神そのものとして崇拝したことを源流とする。初め農耕の神として祀られ、のちに殖産興業の性格が加わって衆庶の篤い信仰を受けた。神が稲荷山に降り立ったという縁起から、2月の初午の日は古来より多くの参拝者で賑わう。清少納言が自らの稲荷詣を『枕草子』に記すほか、『蜻蛉日記』『今昔物語集』など古典にもしばしば登場する。平安時代東寺(=教王護国寺)の造営にあたって鎮守神となるや、真言密教と結び付いてその信仰を拡大、次第に神位を高めて『延喜式名神大社に列し、天慶5年(942年)に正一位の極位を得た。この間、延喜8年(908年)に左大臣藤原時平が三箇社を修営(『年中行事秘抄』)、その後源頼朝足利義教らが社殿の造営、修造に関わったが、応仁の乱にてすべて焼亡。乱後、社僧による勧進の下で再建が始まり、明応8年(1499年)に至って遷宮を迎えた。近世まではこれら勧進僧たちが稲荷信仰の普及や稲荷講の結成に大きく関与したという。
    明治政府神仏分離令によって、本願所のほか境内の仏堂がすべて廃寺となる一方、崇敬者による鳥居の奉納や私的な「お塚」の建立が稲荷山中で顕著化し、現在の伏見稲荷大社を特徴づけるものとなった。稲荷祭の最終日に東寺の僧侶らが東門(慶賀門)の前に供物を並べ、還幸する下社の神輿に読経をあげる儀式があり、古くから続く両社寺の深い関係を今に伝えている。
    稲荷神は元来、五穀豊穣を司る神であったが、時代が下って、商売繁昌・産業興隆・家内安全・交通安全・芸能上達の守護神としても信仰されるようになった。
    表参道の一番鳥居から楼門、外拝殿(舞殿)、内拝殿、本殿が一直線に並ぶ。本殿の背後に、斎場と千本鳥居から続く稲荷山の神蹟群がある。千本鳥居をはじめとする信者の寄進による鳥居は山中に約一万基あると言われる。
    主な祭事
    ●初午大祭 (はつうまたいさい、2月初午の日 午前8時)
    ●稲荷祭 (平安時代に起源を持つ祭りで4月20日最寄の日曜の「神幸祭」-5月3日の「還幸祭」まで氏子地域の御旅所に神輿が置かれる:2010年は16日間)
    ●本宮祭 (もとみやさい、7月土用入り後の最初の日曜または祝日) – 前日の宵宮には境内の提灯や灯籠に一斉に灯を入れる万灯神事が行われる。
    ●火焚祭 (ひたきさい、11月8日 午後1時) – 「おひたきまつり」とも言われる。社前に火を焚く神事。伏見稲荷では丁度初午に相対するものであるとしている。

    大鳥居・wikipedia-photo

    参道末社(左から)熊野社(重要文化財)・藤尾社(重要文化財)・霊魂社 – wikipedia-photo

    二番鳥居・wikipedia-photo

    二番鳥居から本殿まで。

      
      (wikipedia・伏見稲荷大社より)]

    「伏見稲荷大社の参集殿の役割りとは、伏見稲荷大社へ参拝に来られた参拝者へ宿泊や食事(モーニング・ランチ・喫茶)を提供している施設です。  (「京都 伏見稲荷大社「参集殿」 | 京都・伏見稲荷大社の御朱印の「種類・値」」より)]

    伏見稲荷大社ホームページ

    伏見稲荷大社境内図(山麓)(「オープンストリートマップ」より。)

    [地図を右端までスクロールすると、右下に聖火 おもかる石と記述されていますが、おもかる石はそこの左方向奥社受付所の右にあり記述が間違いです。この場所は伏見神寶神社です。]
    [伏見神寶神社(ふしみかんだからじんじゃ) – 伏見稲荷大社の境内にあるが摂末社ではなく、独立した神社である。  (wikipedia・伏見稲荷大社社より)]
      
    伏見稲荷大社参集殿-宿坊 – 宿坊研究会

    伏見稲荷大社 稲荷祭の神幸祭 | 京都旅屋 ~気象予報士の観光ガイド

    伏見稲荷大社資料リンク
    都名所図会」・「巻之三 左青龍再刻 稲荷初午まうで (稲荷初午詣)」、「巻之三 左青龍再刻 三之峰稲荷社 (伏見稲荷大社)」、「巻之三 左青龍再刻 三の峰稲荷大明神の社 (伏見稲荷大社)解説
    三之峰稲荷社 (伏見稲荷大社)(拡大図)

    拾遺都名所図会」・「巻之二 左青龍首 稲荷山初午図」、「巻之一 平安城 魂まつり (魂祭)
    魂まつり (魂祭)(拡大図)

    [こちらからいはせてばかり魂まつり 加賀千代
    六斎念仏は毎歳七月十五日に在郷よりおのおの組を立て都の町々に出、盂蘭盆会魂祭の馳走に家々の所望により行ひける。近年はおどけ狂言をまじへて衆人の目を悦ばしむるも、三仏乗の因となる便りならんと。]

    都林泉名勝図会」・「巻之三 稲荷社 (伏見稲荷神社)

    花洛名勝図会」・「東山之部 八 稲荷神社 (伏見稲荷神社)」、「東山之部 八 稲荷初午詣」、「東山之部 八 稲荷神社 (伏見稲荷神社)解説
    稲荷神社 (伏見稲荷神社)(拡大図)

    [三ケ峰麓・稲荷社
    荷田東麻呂・くる春のしるしもしるるいなり山霞かかれる峯の杉むら
    村田晴海・いなり山みねの神杉神さびついくよの人の折かざしけん]

    年中行事大成. 巻之1-4 / 速水春暁斎 画図」・「稲荷祭禮之図 五條橋」(4-5)

    稲荷祭禮之図其二」(4-6)

    夏越祓之図」(6-35)

    [大祓は民間では、毎年の犯した罪や穢れを除き去るための除災行事として定着した。民間の場合、6月のものは「夏越の祓」(なごしのはらえ)、12月のものは「年越の祓」(としこしのはらえ)と呼び分けられる。夏越の祓では多くの神社で「茅の輪潜り(ちのわくぐり)」が行われる。参道の鳥居や笹の葉を建てて注連縄を張った結界内にで編んだ直径数 m ほどの輪を建て、ここを氏子が正面から最初に左回り、次に右回りと 8 字を描いて計3回くぐることで、半年間に溜まった病と穢れを落とし残りの半年を無事に過ごせることを願うという儀式である。かつては茅の輪の小さいものを腰につけたり首にかけたりしたとされる。これは、『釈日本紀逸文の『備後国風土記』に記されている疫隈国、素盞嗚神社蘇民将来伝説に由来するもので、武塔神の指示により茅の輪を腰につけたところ災厄から免れ、武塔神は自らを速須佐雄と名乗り去っていったと書かれている。  (wikipedia・大祓より)]

    国立国会図書館デジタル化資料 – 浪花百景付都名所」 – 「都名所之内 伏見稲荷社

    カメラ東方向が伏見稲荷大社一の大鳥居です。

    カメラ北方向左から末社・熊野社、藤尾社、霊魂社で、藤尾社が藤森神社の発祥と言われ、藤森祭には藤森神社の神輿が入り、藤森の神を祀る藤尾社の前に三基の神輿が鎮座をして神事が行われます。 (「上賀茂神社の菖蒲の根合せ 藤森祭と伏見稲荷 | 京都旅屋 ~気象予報士」より)

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