御香宮神社

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    [「西尾市岩瀬文庫/古典籍書誌データベース – 伏見図(成立推定 近世中期写慶長年間1596年-1615年)」の絵図四つ切右下、観月橋通り下、筑前中納言(小早川秀秋)屋敷が現在の御香宮神社になります。小早川秀秋(秀詮)は関ヶ原の戦いから2年後の慶長7年(1602年)10月18日、21歳で急死し、小早川家は無嗣断絶により改易された。徳川家康は慶長10年(1605年)、この地に本殿を造営し社領三百石を献じた。)

    御香宮神社
    [御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ、ごこうぐうじんじゃ)は京都市伏見区にある神社である。旧社格は府社。通称御香宮、御幸宮。伏見地区の産土神である。神功皇后を主祭神とし、夫の仲哀天皇、子の応神天皇ほか六神を祀る。神功皇后の神話における伝承から、安産の神として信仰を集める。 また社務所内に小堀政一(遠州)が伏見奉行所内に作ったとされる庭園が移設されている。
    由緒
    初めは「御諸神社」と称した。創建の由緒は不詳であるが、貞観4年(862年)に社殿を修造した記録がある。伝承によるとこの年、境内より良い香りの水が湧き出し、その水を飲むと病が治ったので、時の清和天皇から「御香宮」の名を賜ったという。この湧き出た水は「御香水」として名水百選に選定されている。ボトルを持参して取水する地元民も多い。菟芸泥赴によれば筑紫国香椎宮から勧請したという記録がある。 全国にある「香」の名前のつく神社は、古来、筑紫の香椎宮との関連性が強く神功皇后を祭神とする当社は最も顕著な例である。
    豊臣秀吉は、伏見城築城の際に当社を城内に移し、鬼門の守護神とした(現在でも古御香宮として残っており、また伏見宮貞成親王に関係が深かったこともあり、境内は陵墓参考地として指定されている)。
    後に徳川家康によって元の位置に戻され、本殿が造営された。表門は伏見城の大手門を移築したものとされている。
    明治元年(1868年)に起こった鳥羽・伏見の戦いでは伏見町内における官軍(薩摩藩)の本営となったが、本殿等は無事であった。
    昭和に入ってからはすぐ東を通る国道24号線の拡幅に伴い、境内の一部を道路用地として提供し、その際に元伏見奉行所の跡で、米軍のキャンプ地の跡である桃陵団地建設の際に発見された小堀遠州ゆかりの庭園が、造園家・中根金作の手によって、社務所の裏側に再現された。
    本殿には、菊の御紋や五七の桐紋葵の御紋が見られる。
    文化財
    重要文化財
    ●本殿 – 徳川家康の命令で建立 平成2年(1990年)の修理で、極彩色の彫刻が復元された。
    ●表門 – 元和8年(1622年)、徳川頼房伏見城の大手門を貰い受け、当社に寄進したもの。中国の二十四孝の蟇股がある。
    ●金熨斗付太刀(きんのしつきたち) – 備前長光が作ったとされる。
    その他
    ●拝殿 – 京都府指定有形文化財。寛永2年(1625年)、徳川頼宣の寄進によって建立による割拝殿の構造となっている建物。中国の登龍門の故事に基づいた極彩色彫刻が唐破風元にある。
    算額文久3年(1863年) 西岡天極斎奉納 。絵馬堂に掲額。
    ●算額 – 天和3年(1683年) 山本宗信奉納(復元)、 絵馬堂に掲額。八坂神社に答えの算額がある。
    表門・wikipedia-photo

    拝殿・wikipedia-photo

    拝殿の極彩色唐破風彫刻・wikipedia-photo

    本殿・wikipedia-photo

    絵馬堂・wikipedia-photo

    御香水・wikipedia-photo

    拝殿を中心とした境内のパノラマ・wikipedia-photo、能舞台・wikipedia-photo、庭園・wikipedia-photo  (wikipedeia・御香宮神社より)]

    [昭和52(1977)年,桃山東土地区画整理事業の作業中,慶長元(1596)年に築かれた帯曲輪(くるわ)の基礎部分にあたる全長約100メートルの石垣が発見されました。石1個の重さは1トンから2トン半。石には墨で「二」「上」「大た尓」(おおたに)の文字が書かれていました。そのうち,15メートル分が桃山東小学校に移築復元されました。京都市登録文化財。
     出土した石約300個には御香宮神社境内に保管されたものと,京都市西京極総合運動公園ゲートのモニュメントとして保存活用されているものがあります。  (「都市史20 伏見城 – 京都市」より)]

    御香宮神社境内図(「歴史のいたずら・京都の東照宮③|三つ葉葵の風が吹く」より)

    御香宮神社 – 京都府神社庁

    御香宮資料リンク
    国立国会図書館デジタルコレクション – 伏見桃山御殿御城之画図」[明治14年に復刻された豊臣秀吉時代の伏見城及び各大名屋敷地の絵図で、絵図中央右方向に筑前中納言(小早川秀秋)屋敷が現在の御香宮神社になります。)

    都名所図会」・「巻之五 前朱雀再刻 御香宮」 、「巻之五 前朱雀再刻 御香宮解説
    御香宮(拡大図)

    年中行事大成. 巻之1-4 / 速水春暁斎 画図」・「夏越祓之図」(6-35)

    [大祓は民間では、毎年の犯した罪や穢れを除き去るための除災行事として定着した。民間の場合、6月のものは「夏越の祓」(なごしのはらえ)、12月のものは「年越の祓」(としこしのはらえ)と呼び分けられる。夏越の祓では多くの神社で「茅の輪潜り(ちのわくぐり)」が行われる。参道の鳥居や笹の葉を建てて注連縄を張った結界内にで編んだ直径数 m ほどの輪を建て、ここを氏子が正面から最初に左回り、次に右回りと 8 字を描いて計3回くぐることで、半年間に溜まった病と穢れを落とし残りの半年を無事に過ごせることを願うという儀式である。かつては茅の輪の小さいものを腰につけたり首にかけたりしたとされる。これは、『釈日本紀逸文の『備後国風土記』に記されている疫隈国、素盞嗚神社蘇民将来伝説に由来するもので、武塔神の指示により茅の輪を腰につけたところ災厄から免れ、武塔神は自らを速須佐雄と名乗り去っていったと書かれている。  (wikipedia・大祓より)]

    表門(旧伏見城移築大手門) – Google Map 画像リンク」、「手水舎 – Google Map 画像リンク」、「割拝殿 – Google Map 画像リンク」、「能舞台 – Google Map 画像リンク」、「絵馬堂 – Google Map 画像リンク」、「伏見の御香水 – Google Map 画像リンク」、「御香宮神社 – Google Map 画像リンク」、「表門(旧伏見城移築大手門) – Google Map 画像リンク」、「明治維新 伏見の戦跡 – Google Map 画像リンク」、

    カメラ北方向が御香宮神社表門です。

    御香宮神社割拝殿前のカメラです。

    御香宮神社拝殿前のカメラです。

    御香宮神社伏見の御香水前の360citiesです。

    御香宮神社能舞台前のカメラです。

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