東高瀬川(稲荷橋・現下平田橋)

マーカーは稲荷橋(現下平田橋)です。

東高瀬川(稲荷橋・現下平田橋)
[稲荷橋(旧名)、この橋は現在「下平田橋」と言い、昔は直進して稲荷神社に通じていた。  (「京都高瀬川: 角倉了以・素庵の遺産 – 83 ページ」より)]

[慶長19年(1614)角倉了以京都伏見間に高瀬川運河を開削し、高瀬舟の運行をはじめました。この舟運はもともと貨物を運搬するのが目的でしたが、伏見稲荷大社初午祭の日に限り、四条小橋から稲荷橋まで、稲荷詣での人々の乗船を許しました。当日それらのひとびとは舟の中に緋毛氈を敷き、飲み食いを楽しみながら高瀬川をくだりました。  (「ご本殿修造 – 伏見稲荷大社」より)]

[高瀬川がかつて、京都伏見を結ぶ運河であった頃は、現在の鴨川合流点のやや上流側で鴨川を東へ横断したのち、一部区間で竹田街道と並行、濠川と合流し伏見港を経て宇治川に合流していた。
現在、鴨川以南は東高瀬川と呼ばれ、上記高瀬川や鴨川とはつながっておらず、雨水等を水源とする河川となっている。また、疏水放水路と合流して直接宇治川に流れ出ており、濠川とは合流していない(東高瀬川において、宇治川に直接つなげるために整備された部分を新高瀬川と呼ぶこともある)。
昭和10年(1935年)に起きた鴨川大洪水のあと、鴨川の河川改修の一環として鴨川の川底の浚渫が行われ、鴨川の川底が2m程度低くなった。そのため、高瀬川が北から鴨川に流入する地点は十条通付近まで移され、また一方で鴨川横断点の下流側(東高瀬川)では鴨川からの取水が不可能となり、高瀬川は分断されることとなった。  (「高瀬川_(京都府)」より)]

資料リンク
花洛名勝図会」・東山之部 八 稲荷初午詣東山之部 八 稲荷初午詣翻刻文
稲荷初午詣(拡大図)

[稲荷初午詣・高瀬舟行之図
近年二月初午当日前日とも四条小橋の辺より高瀬舟を出せり。舟毎に長幼男女ほころぶばかりに乗合て、稲荷橋の上り場迄は凡一里の急流一瞬の中なるを、両岸にはよごれたる頬に紅粉して辻俳優の舞踊りて銭を乞へば、かの淀川なる枚方舟のおもかげして、鼻毛伸たる老爺のあやしのもちひ芋の類ひの煮売をめせと囂く呼立つ。或は堤をかち行人と船客かたみに争ひ、足はなきやといへば銭はなきやなど罵るも、皆春興の一ツにして、花洛舟中の気保養は実に此両日にかぎるなるべし
かへるにはまだ日も高しいなり山伏見の梅のさかり見て来む・景樹]

カメラ東南東方向が稲荷橋(現下平田橋)です。高瀬川・四条小橋付近から乗り込んだ稲荷初午詣の人々は、稲荷橋(現下平田橋)手前で降り、伏見稲荷大社に参詣した。

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