羽束師川・丹波道・善峯・向日町【道標】

マーカーは羽束師川・丹波道・善峯・向日町【道標】です。

今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)京阪神図」の1892~1910年の地図中央に羽束師村上の十字路が久我畷四ッ辻になると思われ、東方向に横大路わたし(現が描かれ、横大路村を通って伏見に通じています。北方向、久我村先に久我わたし(現久我橋)、西方向が西国街道、向日町になり、小畑川西側には丹波道があります。

羽束師川と道標
[久我の地から古川・樋爪・水垂・大下津・山崎を経て桂川に注ぐ本支流合わせて総延長十二粁余の人口水路七間堀を羽束師川と呼んでいます、この川は桂川右岸低湿地の内水や悪水吐けの為に、文化六年(一八〇九)から十七ヶ年の歳月をかけて新川の掘削、古水路の改修樋門の設置などの工事が完成しました。かくして二部十二村の水場の人々は累代にわたる水害からまぬかれ、荒廃した土地は耕地にかわりその余慶は今日に及んでいます。しかるに此の工事は官府の力ではなく神明のご加護を祈り心身をくだき私財を投じて地域開発の素心を貫いた羽束師神社祠官で累代の社家古川吉左衛門為猛翁の独力によって成し得た大事業でありました。文政八年(一八二五)工事が完遂するや羽束師神社の名を取り羽束師川と命名され西陣伊佐町井上傳兵衛氏は為猛翁の偉業を後世に伝えんと久我畷四ッ辻にこの道標を建立されました。爾来時は移り姿は変わりましたが、その功績を偲ぶに相応しき神社境内に鴨川町西村奈良松氏のご厚意をうけ昭和五十五年に現地に移設しました。今年は恰も工事着工より二百年の佳辰に当りこの偉業を称える為、記念碑を建立し由緒を銘記した次第であります。
    羽束師神社  (「羽束師川と道標碑(画像リンク)」より)]

羽束師川・丹波道・善峯・向日町【道標】
[所在地 伏見区羽束師志水町(羽束師神社内)
位置座標 北緯34度55分44.7秒/東経135度43分21.8秒(世界測地系)
建立年
建立者 井上伝兵衛
寸 法 高 142 × 幅 30 × 奥行 30 cm
碑 文
[西]
西丹波道
羽束師川 よし峯
向日町
[北]
久我わたし すく
はつかしの社
北 是より半丁
京みち やはたちか道
[南]
川西 山さき
南 道
柳 谷
[東]
横大路わたし
東 京西陣伊佐町
伏見みち 建石発起 井上伝兵衛
調 査 200 2年 10 月 10 日
備 考 『京都の道標』収録  (「HU105 羽束師川・丹波道・善峯・向日町【道標】 – 京都市」より)]

羽束師川・丹波道・善峯・向日町【道標】 – Google Map 画像リンク」「羽束師坐高御産日神社 – Google Map 画像リンク

カメラ東南東方向に羽束師川・丹波道・善峯・向日町【道標】と「羽束師川と道標」碑があります。