羽束師神社(羽束師坐高産日神社)

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    羽束師神社(羽束師坐高産日神社)
    [京都府運転免許試験場の北に、羽束師神社(はづかしじんじゃ)という地味な神社がある。古代より土器を作る(粘土「=はに」をこねて「=かす」が語源)職人が住んだため「はつかし」と言われる。創建は雄略天皇21年(477年)と伝えられる。続日本紀大宝元年(701年)の条に記録がある。長岡京造営期はこの地は四条四坊にあたり、祈願の土馬が出土している。平安時代に入ると式内大社の筆頭の格を与えられる。写真は二の鳥居だが、境内は巨大なが林立する鬱蒼とした森になっており、否が応でも歴史を感じさせる(羽束師の森)。森に囲まれた人気のない境内は、鳥や虫の鳴き声が交錯し、工業化や宅地化が激しい一帯にあって別世界のよう。また、桂川やそれに流れ込む支流が集まる土地柄、水郷地帯で洪水が多かったのだろう。治水に関わる碑もあり。往時の苦労が偲ばれる。羽束師神社の南に北向見返天満宮(きたむきみかえりてんまぐう)があった。
     延喜元年(901年)菅原道真太宰府に左遷され、都の出口に差し掛かかった折り、羽束師神社に参拝した(当時はここは乙訓郡だった)。そして振り返って別れの歌を詠んだという。  (「181 羽束師神社 – 京都うらみちあんない」より)]

    [桂川右岸の旧乙訓郡に鎮座する羽束師坐高御産日(はづかしにますたかみむすび)神社(羽束師神社)は、「続(しょく)日本紀」(延暦十六年(797年)編さんの史書)にもその名が記される由緒ある神社です。「羽束師の森」とも呼ばれる社地は、嘉永六年(1853年)に再建された本殿拝殿も含め、市の登録文化財に指定されています。昨年5月に行われた氏神祭では、70年ぶりに神輿渡御(とぎょ)が復活し、江戸時代中期に作られた神輿が氏子たちの手により担がれました。一の鳥居の東には、北向見返天満宮が鎮座しています。延喜元年(901年)菅原道真が大宰府に左遷される折、羽束師神社に参詣し「捨てられて思うおもいのしげるをや身をはづかしの森というらん」と詠まれたところに社殿が建ち、今も道真公を偲(しの)ぶかのように、木々に囲まれ静かに佇(たたず)んでいます。 (伏見区老人クラブ連合会)  (「京都市伏見区役所:伏見区あれこれ : ふしみ昔紀行(平成20年1月)」より)]

    羽束師坐高御産日神社 | 下天の内」、「京都屈指の古社として知られる羽束師の鎮守社(羽束師神社 …」

    都名所図会」・「巻之四 右白虎再刻 羽束師の森

    羽束師坐高御産日神社 – Google Map 画像リンク

    カメラ北方向が羽束師坐高産日神社二之鳥居です。

    カメラ東南東方向が羽束師坐高産日神社西参道です。

    羽束師神社割拝殿前のカメラです。

    右六社前のカメラです。

    カメラ東方向が北向見返天満宮です。