上品蓮台寺

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    上品蓮台寺
    [上品蓮台寺(じょうぼんれんだいじ)は、京都市北区にある真言宗智山派の寺院。山号は蓮華金宝山。院号は九品三昧院。本尊は延命地蔵菩薩
    寺伝によれば、聖徳太子が母の菩提寺として建立し、宇多法皇中興したという(『山州名跡志』)。天徳4年(960年)9月9日付の蓮台寺供養願文(『本朝文集』所収)に、東寺長者寛空が北山に一堂を建立し、亡き父母の供養をしたとあり、『日本紀略』同日条にも同様の記載があるが、これが上品蓮台寺の実質的な創建を伝えるものと推測される。当寺は一名香隆寺とも呼ばれたが、これは寛空が隣接する香隆寺(後に上品蓮台寺に合併)を兼帯していたためである。寛空は宇多法皇の弟子にあたり、大覚寺で法皇から灌頂を受けている。宇多法皇の孫(敦実親王の子)にあたる寛朝僧正も当寺の住持になっている。
    嵯峨野清凉寺の本尊で、「三国伝来の霊像」として広く信仰を集めてきた釈迦如来像は、一時期、上品蓮台寺に安置されていた。『扶桑略記』によれば、寛和3年(永延元年・987年)に奝然(ちょうねん)が同釈迦像をから日本へ請来した際、一時この寺に安置し、後に清涼寺に移したという。
    寺は応仁の乱で焼けたが、文禄年間(1592 – 1596年)、豊臣秀吉の援助のもと、紀州根来寺性盛によって復興された。
    現在の境内は千本通りの西側に位置するが、かつては、千本通りを挟んで塔頭が12院あったことから「十二坊」とも称され、これが町名(紫野十二坊町)の由来となっている。境内には仏師定朝墓があり、境内北側の真言院には源頼光の蜘蛛退治にまつわる頼光塚がある。当寺は大正時代まで、智山化主の隠居寺院として知られていた。

    玄関(wikipedia-photo)

    上品蓮台寺本堂(wikipedia-photo)

    文化財
    国宝
    紙本著色絵因果経 – 奈良時代の作品。釈迦の前世と現世の物語を説く『過去現在因果経』という経典を絵解きしたもの。巻子本の下半分に経文を書写し、上半分に経文の内容を表す絵を描く。『過去現在因果経』は全4巻の経典だが、「絵因果経」は各巻を上下2巻に分けた全8巻から成り、上品蓮台寺本はそのうちの巻第二上のみが残ったものである。本巻は完本ではなく巻末部分を欠いており、当該部分は断簡として奈良国立博物館などに所蔵されている。奈良時代の「絵因果経」の遺品は東京芸術大学醍醐寺出光美術館にも所蔵されるが、これらは一具のものではなく、別々に制作された「絵因果経」の一部が残ったものである。数少ない奈良時代絵画の遺品として貴重である。京都国立博物館に寄託。
    絵因果経(部分)・wikipedia-photo

      (wikipedia・上品蓮台寺より)]

    [表門を入った正面が書院、右手に庫裏、左手奥に真新しい本堂があります。
    右手の1番奥にある墓地の中に大きな椋の木があります。この木の下に源頼光塚こと、その頼光が退治したとされる蜘蛛塚があります。
    本堂の内部には、本尊の延命地蔵菩薩像をお祀りしていますが内部には入れません。
    本堂の奥、向かって左手からさらに進んだ右手に仏師 定朝の墓があります。  (「上品蓮台寺 – Amadeusの「京都のおすすめ」 ブログ版(観光)」より)]

    千本鞍馬口 上品蓮台寺 桜だより 4/15/2011 – 京の四季 名勝 ..」、「上品蓮台寺 桜

    上品蓮台寺 – Google Map 画像リンク」、「十二坊 – Google Map 画像リンク

    カメラ西方向が上品蓮台寺山門です。

    カメラ初期設定方向右が庫裏、その左が書院になります。

    大師堂前のカメラで、大師堂左に弘法大師像が見えます。

    本堂前のカメラで、反転すると、鐘楼、勅使門、大師堂があります。

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