浄禅寺(鳥羽地蔵)

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    浄禅寺(鳥羽地蔵)
    [京都市南区上鳥羽にある浄禅寺は通称鳥羽地蔵と呼ばれ、京都六地蔵巡りのひとつである。また、遠藤盛遠(出家後の文覚上人)と袈裟御前の悲恋物語ゆかりの寺で、袈裟御前の首塚といわれる塚があり、恋塚浄禅寺とも呼ばれている。  (「浄禅寺 <鳥羽地蔵>(京都市南区) 京都六地蔵巡り」より)]

    [鳥羽離宮の北面の武士遠藤盛遠は、渡辺左衛門尉源渡の妻袈裟に横恋慕し、夫の身代わりとなった袈裟を誤って殺したため、盛遠は出家して文覚と名乗り日本全国を荒行して廻り、高雄神護寺等を再興した。恋塚は袈裟の首を埋めた塚で、1647年(正保4)当時の領主永井日向守直清林羅山に撰させて袈裟の貞女を顕彰した碑が境内に建つ。浄土宗西山禅林寺派。京の六地蔵めぐりの一つ「鳥羽地蔵尊」として知られる。観音堂には9~10世紀の寺院で、十一面観世音菩薩(京都市指定文化財)を祀る。建立:1182(寿永元)年、または1144(天養元)とも云われている。  (「京都観光Navi:恋塚浄禅寺」より)]

    [上鳥羽の浄禅寺と下鳥羽の恋塚寺に「恋塚」と呼ばれる石塔があります。これらの塚は両寺の開基となった文覚の逸話を伝えています。寺伝では北面の武士だった遠藤盛遠が同僚の妻・袈裟御前(けさごぜん)に横恋慕し、誤って殺してしまうことで出家したとされています。後に文覚は源頼朝の知遇を得て、頼朝や後白河法皇の庇護の下、神護寺、東寺ほか多くの寺院の復興に貢献します。
    浄禅寺は平安時代、文覚が開基。山門横に「恋塚」があり、境内の地蔵尊は「鳥羽地蔵」と俗称され、「六地蔵めぐり」の一つとして知られています。  (「32 鳥羽作道 – 京都市埋蔵文化財研究所」より)]

    [京都市で行われる六斎念仏のうち、現在指定を受けるのは、保存会15件に、これら文化財指定を受けた六斎念仏を統括する団体である京都六斎念仏保存団体連合会を加えた計16件である。このうち、西方寺、円覚寺、六波羅蜜寺を除いてはすべて芸能六斎を伝承している。  (wikipedia・六斎念仏#京都の六斎念仏より)]

    京都六斎念仏保存団体連合会 – 中堂寺六斎念仏

    浄禅寺資料リンク
    都名所図会」・「巻之四 右白虎再刻 地蔵堂 (廻地蔵)」、「巻之四 右白虎再刻 廻地蔵解説」、「巻之四 右白虎再刻 こいつか (恋塚)」、「巻之四 右白虎再刻 恋塚解説
    地蔵堂 (廻地蔵)(拡大図)

    [図会右ページ上に吉祥院天満宮 (吉祥院)、左ページ中央右に実相寺、その左境内に貞徳翁塚 (貞徳塚)、下道の中央下に地蔵堂 (廻地蔵・浄禅寺)、そこの左浄禅寺境内にこいつか (恋塚)が描かれています。]

    拾遺都名所図会」・「巻之一 平安城 魂まつり (魂祭)
    魂まつり (魂祭)(拡大図)

    [こちらからいはせてばかり魂まつり 加賀千代
    六斎念仏は毎歳七月十五日に在郷よりおのおの組を立て都の町々に出、盂蘭盆会魂祭の馳走に家々の所望により行ひける。近年はおどけ狂言をまじへて衆人の目を悦ばしむるも、三仏乗の因となる便りならんと。]

    恋塚 浄禅寺(鳥羽地蔵) – Google Map 画像リンク

    カメラ東方向が浄禅寺山門です。

    浄禅寺本堂内のカメラです。

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