矢取地蔵・柳谷観世音菩薩【道標】

マーカーは矢取地蔵です。

矢取地蔵
[千二百年近くさかのぼった平安時代初期。嵯峨天皇の命で造営された東寺西寺は、その勢力を競っていた。東寺には今に続く真言宗の開祖・空海がおり、一方の西寺には守敏(しゅびん)という僧がいた。
 824(天長元)年、日照り続きで人々は飢えと渇きに苦しんでいた。淳和天皇は空海と守敏に神泉苑(京都市中京区)で雨ごいを命じる。先に守敏が祈念したが、雨は降らない。対して、空海が願をかけると三日三晩にわたって雨が続いたという。「雨ごい合戦」は空海に軍配が上がった。
 しかし、守敏は腹の虫が治まらない。ついに空海を羅城門近くで待ち伏せて矢を放つ。その時、黒衣の僧が現れて身代わりに矢を受け、空海は難を逃れた。黒衣の僧は実はお地蔵さまの化身であり、後にそのお地蔵さまは「矢取地蔵」とか「矢負(やおい)地蔵」と呼ばれ、信仰を集めてきたという。
 現在の地蔵堂は明治時代に地元住民が寄進した。中央に鎮座する仏像が矢取地蔵尊。優しい顔で民衆を見守っている。  (「(212)矢取地蔵 – 京都新聞|ふるさと昔語り」より)]

柳谷観世音菩薩(やなぎたにかんぜおんぼさつ)【道標】(※九条通と旧千本通交差点の南西角付近にあったと思われます。)
[所在地 南区唐橋羅城門町(矢取地蔵前)
位置座標 北緯 34 度 58 分 44.9 秒/東経 135 度 44 分 33.2 秒(世界測地系)
建立年 嘉永 7 年
建立者 伊勢屋伝九郎・安森氏
寸 法 高 178 × 幅 28 × 奥行 27 cm
碑 文
[南]
右ハ やなぎ谷 観世音菩薩(※楊谷寺・京方面から見て右が西国街道)
[西]
やわた
左 往来安全
八幡宮(※石清水八幡宮・京方面から見て左が大阪街道(旧千本通・鳥羽作道)、淀を通過して石清水八幡宮)
[北]

嘉永七 年秋 高辻とうり
寅 石工 定清
[東]
高辻通新町西江入
施主 伊勢屋伝九郎
安森氏
調 査 2002 年 2 月 28 日
備 考 『京の道標』収録  (「柳谷観世音菩薩【道標】 – 京都市」より)]

矢取地蔵尊 – Google Map 画像リンク

カメラ北北西方向が矢取地蔵で、地蔵堂前、信号機柱右に柳谷観世音菩薩【道標】があります。

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