マーカーはかまぶろ旧跡です。
かまぶろ旧跡
[土石で作られた窯を利用した蒸し風呂の一種。壬申の乱で大海人皇子が背に矢を受けた際,窯風呂に入って傷を癒したという,八瀬の地名伝承ともかかる。『言経卿記』の文禄4年(1595)4月4日条にみえるのが初見であるが,すでに近世初期,療養目的の湯治場として広く知られた存在であったことが確認できる。江戸時代に入るとさらに発展し,正徳5年(1715)当時には16軒を数えた。現存するかまぶろの製作年代については,明治28年に京都で行なわれた内国勧業博覧会を記念して復元作製された2基のうちの1基である可能性が高い。
(「京都市指定・登録文化財-有形民俗文化財(左京区)」より)]
[京都を彩る建物や庭園 京都市文化市民局
推薦理由(抜粋)
壬申の乱で大海人皇子が背中に矢を受け,かまぶろで傷を癒した伝説が八瀬の地名の由来と言われる。かまぶろは外側が土壁,内側が石組で,保温性に優れた造り。江戸時代の16基が,1基のみ現存。見た目にも愛嬌があり,人々からも親しまれている。 (「八瀬かまぶろ – 京都を彩る建物や庭園 京都市文化市民局」より)]
「都名所図会」・「巻之三 左青龍再刻 八瀬竃風呂 (八瀬)」、「巻之三 左青龍再刻 矢背の里 (八瀬)解説」
八瀬竃風呂 (八瀬)(拡大図)
[八瀬竃風呂(やせかまぶろ)
新続古俳諧 大はらへ行とはなしに恋すればやせとをりぬる物ににぞありける 清輔]
カメラ北西方向にかまぶろ旧跡があります。