一乗寺下り松(宮本・吉岡決闘地、大楠公戦陣蹟)

マーカーは一乗寺下り松です。

一乗寺下り松(宮本・吉岡決闘地)
[慶長9(1604)年,剣客宮本武蔵(1584~1645)が,吉岡又七郎(吉岡直重 ?)およびその門弟とこの地一乗寺下り松で決闘したと伝える。この石標はその跡地を示すものである。ただし,江戸時代の地誌類にはこの逸話を記すものはなく,竹村俊則「宮本武蔵決闘地 一乗寺下り松について」(『土車』24号)は江戸時代の随筆「古老茶話」に依り北野一条下り松を推し,これが一乗寺下り松と誤って伝えられたとする。
 表面に名を記す堀正平(1888~1963)は,大日本武徳会武術教員養成所を出て,各地で剣道教師を勤めた武道家。建碑者堀翁は妻佐々木氏翁。
所在地 左京区一乗寺花ノ木町
位置座標 北緯35度02分37.5秒/東経135度47分36.6秒(世界測地系)
建立年 1921年
建立者 堀翁
寸 法 高188×幅67×奥行15cm
碑 文
[北]
宮本
決闘之地
吉岡
剣道師範堀正平書並刻
[南]
慶長九年宮本武蔵吉岡清十郎ト蓮台野ニ於テ剣術ヲ
試ミテ之ニ勝チ又其弟伝七郎ト洛外ニ出テ雌雄ヲ争
ヒ一撃ニシテ之ヲ斃ス是ニ於テ吉岡ノ門人恨ヲ含ミ
清十郎ノ子又七郎ト謀リ試合ニ名ヲ仮リ数十人兵仗
弓箭ヲ携ヘテ此所ニ会ス武蔵又七郎ヲ斬リ其徒党ノ
者ヲ追退ケ悠然トシテ洛陽ニ帰ルト云
大正十辛酉年 堀 翁女建之
調 査 2002年2月13日  (「SA002 宮本・吉岡決闘地 – 京都市」より)]

大楠公戦陣蹟(だいなんこうせんじんあと)
[『太平記』によると,建武3(1336)年正月,楠木正成(?~1336)勢と足利尊氏(1305~58)勢がこの地で対陣し,正成が足利軍勢を追撃したとされる。この石標は楠木正成陣所の跡を示すものである。
所在地 左京区一乗寺花ノ木町
位置座標 北緯35度02分37.4秒/東経135度47分36.8秒(世界測地系)
建立年 1945年
建立者 大楠公下松戦蹟顕揚会
寸 法 (正碑)高248×幅128×奥行48cm/(副碑)高134×幅65×奥行10cm
碑 文
[正碑北]
大楠公戦陣蹟
蘇峯 菅原正敬 八十三
[正碑南]
昭和二十年五月二十五日建之
[副碑東]
建武三年正月足利尊氏兵八十万を率ゐて来寇す官軍之
を邀へ廿七日を期して京に決戦せむとす乃ち前宵楠木
結城伯耆の諸将其勢三千餘騎叡山を西に降りて下松に
陣し明くる遅しと進み撃ち一挙にして賊徒を西海に却
け了んぬこれ多くは楠公神策の然らしめし所太平記の
著者も楠木は元来勇気無双の上智謀第一と讃歎せりし
かれとも我か国悠久三千年必すしも文武智勇の人に乏
しかりきとせすしかも楠公に貴き所以は其智勇常に天
皇に帰一し奉りしに在りかゝる楠公精神こそ以て新に
樹立すへき産業日本の指針たるへく又以て永く興隆す
へき平和日本の標幟たるへし即ち斯に陪碑して公の徳
を謳はむとする所以なり
[副碑西]
昭和廿年十一月建之
大楠公下松戦蹟顕揚会
撰并書
文学博士 吉沢義則
石工山本鶴次郎
調 査 2002年2月13日
備 考 追加建立された副碑がある  (「SA003 大楠公戦陣蹟 – 京都市」より)]

都名所図会」・「巻之三 左青龍再刻 一乗寺村」(右ページ左下に一乗寺下り松が描かれている。)

一乗寺下り松 – Google Map 画像リンク

カメラ南南東方向に宮本・吉岡決闘地碑があり、その右方向に大楠公戦陣蹟があります。

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