光雲寺

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光雲寺
[霊芝山(れいしざん)と号し、臨済宗南禅寺派に属する。南禅寺北ノ坊とも呼ばれる。もと摂津国大阪府)にあったが、寛文年間(1661年頃)後水尾天皇及び中宮東福門院徳川家康の孫娘和子)が南禅寺の英中禅師に深く帰依され、当寺をこの地に移して再興された。本尊には、東福門院(とうふくもんいん)の釈迦如来観音菩薩を賜って安置した。歴代皇室の尊崇あつく、元久邇(くにの)宮家の菩提所となっている。もと境内は広大であったが、火災に遭い、また明治の初めの変革により縮小された。本堂には、本尊のほか左右に阿難(あなん)、迦葉(かしょう)の二尊者東福門院の坐像を安置する。書院南の庭園は、昭和の初め造園家小川治兵衛が作庭した。疏水の水を引き、背景の山を借景とした池泉廻遊式の名園となった。朝鮮伝来の碼碯(めのう)の手洗鉢が庭の東北隅にあって有名である。寺の背後には後水尾天皇々女顕子内親王の墓、門前北には久邇宮家の墓がある。  (「京都観光Navi:光雲寺」より)]

[臨済宗南禅寺の境外塔頭である。もとは摂津国難波にあったが,明暦3年(1657)に再興され,寛文4年(1664) に徳川秀忠の娘で後水尾天皇の中宮となった東福門院の援助で現在地に移された。仏殿は近世京都を代表する本格的な禅宗様仏殿の一つで,寛文5年に造営された。入母屋造・本瓦葺で,桁行3間・梁行3間の身舎の四周に裳階を配す。内部には禅宗様の須弥壇を中央に,脇仏壇を背面両脇に据える。鐘楼は寛文11年の建築で,柱には少し内転びをつける。現在は仏殿の北西にあるが,当初は仏殿の南西にあった。  (「京都市:京都市指定・登録文化財-建造物(左京区)」より)]

光雲寺ホームページ
光雲寺境内図

光雲寺資料リンク
都名所図会」・「巻之三 左青龍再刻 霊芝山光雲寺 (光雲寺)」、「巻之三 左青龍再刻 霊芝山光雲寺 (光雲寺)解説
霊芝山光雲寺 (光雲寺)(拡大図)

都林泉名勝図会」・「巻之二 光雲寺

花洛名勝図会」・「東山之部 三 光雲寺」、「東山之部 三 霊芝山光雲寺 (光雲寺)解説
光雲寺(拡大図)

光雲寺 – Google Map 画像リンク

カメラ東方向が光雲寺参道です。

カメラ東方向が光雲寺山門です。

光雲寺仏殿(Google Map 画像)

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