北白川の石仏 (二王)

マーカーは北白川の石仏 (二王)です。

北白川の石仏 (二王)
[二王(ふたつおう) – 子安観音の南側、吉田本町で祀られている石仏。大日さんと呼ばれているが、阿弥陀如来だという言い伝えもある。元々は子安観音と対面して設置されていたが、市電開通に伴う今出川通の拡張に伴い、現在の場所に数十メートル程度移設された。なお、この石仏も豊臣秀吉との逸話が伝えられているほか、「北白川の石仏」と呼ぶ場合、子安観音だけではなく、この二王も含まれるか、もしくは主にこちらを北白川の石仏と呼ぶ。また地元では「なかよし地蔵」との呼び名もみられている。
二王

  (wikipedia・北白川 – その他より)]

白川石
[花崗岩そのものである白川石も白川の特産品であり、その品質の評価も高かったとされ、京都の石と言えば白川石、とも言われ、鎌倉時代には三大名石のひとつにも数えられた。『都名所図会』にも「北白川の里人は石工を業(なりわい)として、常に山に入て石を切出し…」との記述が見られ、『東北歴覧之記』では「農業の暇、石工を事とし、入山して石を採り、市中で売る。俗に白川石と称す」とされている。白川灯籠手水鉢(ちょうずばち)などの加工品も名物であった。だが、大正時代以降、石造の衰退、採石容易な花崗岩の枯渇や京都市の条例による切り出しの禁止という要因により、北白川での石の切り出しは次第に行われなくなった。  (wikipedia・北白川 – 白川石より)]

志賀越道
[志賀越道(しがごえみち)は、京の七口である荒神口から、近江国に至る街道。志賀の山越とも。室町時代には今路道(今道越)とも呼ばれ、近世の文献には山中越の呼称も見られる。志賀越道は荒神口から鴨川を渡り、そこから北東に進み、いったん京都大学の本部構内で分断されるが、今出川通・白川通と交差し、北白川仕伏町にて昭和初期に整備された御蔭通(府道30号)と合流する。  (wikipedia・志賀越道より)]

北白川西町道標
[道標は「みちしるべ」とも呼ばれ,現在地から目的地への方向,距離,目的地への経由など。行先や距離が刻まれた石柱状のもので,街道の分かれ道などに建てられている。交通の発達とともに価値は薄れ,その数も減少すているが,当時の交通の様子を知ることができる貴重な文化財である。この道標は,白川街道沿いに幕末嘉永2年(1846)に建てられたもので,北野天満宮吉田社西本願寺などへの道程が記されている。願主は「謀」となっている。  (「京都市指定・登録文化財-史跡」より)]

北白川資料リンク
都名所図会」・巻之三 左青龍再刻 北白川巻之三 左青龍再刻 北白川解説
北白川(拡大図)

[北白川(きたしらかは)
北白川の里人は石工を業として、常に山に入て石を切出し、灯籠手水鉢其外さまざまのものを作りて売也。物理編に土精を石とす。石は気の核なり。人の筋絡より方を生ずるごとくなりとぞ。]

北白川西町道標 – Google Map 画像リンク

カメラ位置は志賀越道で、カメラ北北東方向が北白川の石仏 (二王)です。祠左側に嘉永2年建立の道標があります。

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