大洲藩加藤家京屋敷跡

マーカーは大洲藩加藤家京屋敷跡です。

加藤泰秋
[加藤 泰秋(かとう やすあき)は、弘化3年(1846年)、伊予国大洲藩11代藩主加藤泰幹の四男として誕生。幼名を廉之進。
元治元年(1864年)11月26日、12代藩主であった兄泰祉の死去により家督を継いだ。倹約や家臣の知行削減を行なって財政再建や軍備増強に尽力し、慶応2年(1866年)には窮民の救済を行なっている。尊王派として行動し、小御所会議では軍勢を率いて御所の警備に当たった。鳥羽・伏見の戦いでは警備する攝津西宮長州藩兵を隠密に上陸させ、戊辰戦争では武成隊による甲府城警備や奥羽討伐など、新政府側に与して貢献した。明治天皇の東京行幸(事実上の遷都)では行幸行列の前衛を務めた。
1869年6月に版籍奉還知藩事、1871年7月の廃藩置県で免官となった。  (wikipedia・加藤泰秋より)]

西尾市岩瀬文庫/古典籍書誌データベース – 京町御絵図細見大成(成立西暦・1868年)」(絵図中央右・鴨川右、頂妙寺左下に大洲と記述されています。)

カメラ位置は川端通/仁王門通交点で、カメラ東南東方向が大洲藩加藤家京屋敷跡になると思います。