岡藩中川家京吉田屋敷跡

マーカーは岡藩中川家京屋敷跡跡です。

中川久昭
[中川 久成(なかがわ ひさなり)は、嘉永3年(1850年)8月4日、豊後国岡藩第12代藩主・中川久昭の長男として生まれる。明治2年(1869年)9月23日、父久昭の隠居により、家督を継いだ。同時に藩知事に就任した。明治4年(1871年)7月の廃藩置県で免官された。明治8年(1875年)7月、司法省に出仕する。明治9年(1876年)10月、退職する。
明治17年(1884年)に伯爵に叙された。明治23年(1890年)7月10日、貴族院議員に選ばれて、死亡するまで在職した。明治30年(1897年)5月3日、48歳で死去した。  (wikipedia・中川久昭より)]

西尾市岩瀬文庫/古典籍書誌データベース – 京町御絵図細見大成(成立西暦・1868年)」(絵図四つ切右上に尾張屋敷と御操練場の間、志賀越道の吉田神社への分岐点から、鞠小路の分岐点の間に岡屋鋪が描かれています。)

カメラ位置は志賀越道の油掛地蔵への分岐点で、カメラ東北東方向、鞠小路通り手前付近までが岡藩中川家京屋敷跡であったと思われます。