川端道喜

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川端道喜【かわばた・どうき】
[戦国安土桃山時代京都の豪商。京都御所,を供御した菓子司。本名中村五郎左衛門。洛中新在家川端町に住み,入道名を道喜と称したところから川端道喜の名がある。学問,教養,芸能に深くなじんだ文人でもあり,京餅座の重鎮でもあったらしい。代々が道喜と称し,以後16代にわたり京都の代表的な菓子舗として知られる。供御される粽,餅は,明治維新まで「お朝物」(朝餉の儀)として残っていた。同家には『川端道喜文書』をはじめ,数々の餅菓子史料が残され,今日に伝えられている。墓は京都の浄福寺(上京区)にある。  (「kotobank > 川端道喜とは」より)]

[京都市街南部・鳥羽出身の武士だった渡辺進は、文亀三年(1503)、武士をやめて餅屋になった。後に、同じく鳥羽出身の中村五郎左衛門は、渡辺進の娘婿となり、家業を引き継ぐこととなる。餅屋を継承したあと、五郎左衛門は渡辺彌七郎と名乗って商いを発展させ、元亀三年(1572)に剃髪入道してからは、居士名の「道喜」を名乗るようになった。これが、世襲名「川端道喜」の起源である。初代・道喜(五郎左衛門)は、国学や和歌に秀でた人物で、武野紹鴎から茶道を学んだとも伝えられている。 
 渡辺進と初代・道喜の時代は、室町後期のいわゆる戦国時代にあたり、室町幕府の疲弊とともに朝廷の財政も逼迫していた。進と道喜親子はそうした状況を慮って、歳事や祝事の注文とは別に毎日色々な品を献上するようになり、やがては塩餡を包んだ餅を毎朝献上するのが習わしとして定着した。その餅は「お朝物」と呼ばれ、後に「朝餉」の儀として形式化し、明治天皇東京に移るまで続いたのである。京都御所には、建礼門の東横に「道喜門」という名の専用門が今も残っている。
 こうした伝統を持つ川端道喜の名物は、言わずと知れた「道喜粽」である。吉野葛の持ち味が生かされた「水仙粽」と、こし餡を練り込んだ「羊羹粽」の二種類があり、上品でしっとりとした風味に仕上がっている。  (「500年の伝統に育まれた逸品「道喜粽」 – 川端道喜」より)]

[まずは現地へ赴き、予約致します。場所は下鴨本通と北山通の交差点南西角にありますが、外観だけでは何の店か(若しくは店なのかどうか)すらわからないかもしれません。店内に入り声を掛けると職人さんが出て来られました。私が伺ったのは注文日の1週間前で、水仙粽を希望したものの、既に予約が一杯だと言われる状況。粽だと端午の節句を過ぎれば大丈夫だろうと高を括っていましたが、当時に注文できなかった分がこの時になって殺到したとのこと。しかも最近は良質の笹が入手し辛くなっているそうで、お断りしている大きな要因の一つだとか。職人さんの話によると、川端道喜で使用される笹は京都・花背産で良質の若竹の上部3分の1から更に良い葉を選び抜かれているため、1本の若竹から5枚取れれば上出来だそうです。仮に笹の葉が良質であっても、破れていれば採用できず。原価は1枚50円で、水仙粽に使用できるのはその半分なんだとか。後程ご紹介しますが、1つの水仙粽には5枚の笹の葉が使用されており、契約している業者以外から分けてもらうこともあるそうです。実際に、「電話のお客様は全てお断りしておりますし、水仙粽1つなら何とかなるかもしれません」と言われ、今回は、羊羹粽なら用意できる(笹の葉が少なくて済む)とのことなので、羊羹粽で予約し、可能ならば水仙粽に
切り替えてもらい、受取は髙島屋京都店になりました。  (「究極の手土産? 和菓子屋「川端道喜」(下鴨・宝ヶ池・平安神宮)」より)]

川端道喜 (かわばたどうき) – 北山/和菓子 [食べログ]

川端道喜 – Google Map 画像リンク

カメラ西方向が川端道喜です。

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