横須賀藩西尾家京屋敷跡

マーカーは横須賀藩西尾家京屋敷跡です。

西尾忠篤
[西尾 忠篤(にしお ただあつ)は、嘉永3年(1850年)、遠江国横須賀藩第7代藩主西尾忠受の長男として生まれる。文久元年(1861年)10月13日、忠受の死去により家督を継ぐ。文久3年(1863年)1月15日、将軍徳川家茂に拝謁する。同年12月16日、従五位下・隠岐守に叙任する。
幕末の動乱期で藩内では佐幕派、尊王派が抗争を続け、慶応4年(1868年)の戊辰戦争においても両派の抗争が続いたが、八十美穂や青山善一郎らによる佐幕派への説得もあって、横須賀藩は新政府に協力した。慶応4年(1868年)9月5日、徳川家達東海地方に封じられたため、忠篤は安房花房に移封となった。
明治2年(1869年)の版籍奉還知藩事となり、明治4年(1871年)の廃藩置県で免官となった。  (wikipedia・西尾忠篤より)]

西尾市岩瀬文庫/古典籍書誌データベース – 京町御絵図細見大成(成立西暦・1868年)」(絵図中央右・黒谷左下に横須賀ヤシキと記述されています。)

カメラ位置は岡崎神社御旅所跡碑前で、カメラ位置付近北方向に横須賀藩西尾家京屋敷跡があったと思われます。