満願寺

マーカーは満願寺です。

満願寺
[京都市左京区の岡崎にある満願寺は、平安時代白河天皇が建立した、法勝寺の跡地にあり、境内にある閼伽井は法勝寺の井戸といわれ、法勝寺執行であった俊寛僧都の住んだ跡と言われている。俊寛僧都は平家打倒の陰謀(鹿ヶ谷の陰謀)で薩摩国鬼界ヶ島へ配流された芥川龍之介の作品<俊寛>の主人公である。満願寺は、940年多治比文子が西ノ京に菅原道真の霊夢を感じて創建されたと伝えられ、1701年にこの地に移転してきた。現在の伽藍はその当時建立されたもので、江戸時代中期の日蓮宗伽藍の典型といわれている。  (「満願寺 (京都市左京区) 俊寛僧都ゆかりの地」より)]

[満願寺本堂は宝永元年(1704)までに造営されたもので,市内に残る日蓮宗の一般寺院本堂としては古い。桁行3間・梁行1間の身舎の周囲に1間幅の裳階をまわして背面に内陣部を突出し,その後方に土蔵造の奥陣を付設した複合建築である。境内には鐘楼手水舎・表門・文子天満宮本殿・同拝殿などが残っており,江戸時代中期における日蓮宗の一般寺院の寺観をよく伝えている。  (「京都市指定・登録文化財-建造物」より)]

[当山は天慶三年(940年)北野の地に創立された真言宗の寺で永和年間(1375年-1379年)には勅願所となった名刹であったが、元禄十年(1697年)日蓮宗に改宗し当地に移転した。
創立以来独立本山であったが、明治五年に身延末となった。 妙見様は当初、法勝寺旧跡にあった本光寺に祀られていたが安永三年(1774年)の大火により本光寺が焼失した為当山に移された 洛陽二十八宿妙見の一つとしても有名。  (「開運厄除 洛陽十二支妙見めぐり」より)]

満願寺資料リンク
拾遺都名所図会」・「巻之二 左青龍尾 下岡崎満願寺 (満願寺)」、「巻之二 左青龍尾 満願寺解説
下岡崎満願寺 (満願寺)(拡大図)

花洛名勝図会」・「東山之部 三 満願寺」、「東山之部 三 満願寺解説
満願寺(拡大図)

[図会右ページに本光寺、左ページ中に満願寺、左に蓼倉薬師堂(蓼倉薬師(法雲寺)趾)が描かれています。]

満願寺 – Google Map 画像リンク

カメラ東方向が満願寺です。

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