田辺朔郎像

マーカーは田辺朔郎像です。

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田辺朔郎
[京都市禁門の変で市中の大半が焼け、明治維新東京奠都に伴い人口が減少し産業も衰退したため、第3代京都府知事の北垣国道が灌漑、上水道、水運、水車の動力を目的とした琵琶湖疏水を計画した。そして主任技術者として、工部大学校を卒業したばかりの田邉朔郎を任じ設計監督にあたらせた。  (wikipedia・琵琶湖疏水より)]

[田辺 朔郎(たなべ さくろう、1861年12月2日(文久元年11月1日) – 1944年(昭和19年)9月5日)は、日本の土木工学者。琵琶湖疏水や日本初の水力発電所の建設、関門海底トンネルの提言を行った。北海道狩勝峠の名づけを行った。
略歴
●1861年 – 高島秋帆門下の洋式砲術家である田辺孫次郎の長男として江戸に生まれる。
●1875年 – 叔父の田辺太一の勧めにより、工部寮小学校に入学。
●1883年
  ●工部大学校卒業。卒業論文は、『隧道建築編』、『琵琶湖疏水工事編』であった。
  ●北垣国道京都府知事に請われて京都府御用掛となり、琵琶湖疏水工事に従事する。
●1888年 – 渡米。コロラド州アスペンを訪れ、水力発電所などを視察。
●1890年 – 琵琶湖疏水が完成。秋、北垣国道の長女・しずと結婚。
●1891年 – 日本初の水力発電所である蹴上発電所が完成。東京帝国大学教授に就任。工学博士を授与
●1894年 – イギリス土木工学会からテルフォード・メダルを授与される。
●1896年 – 北海道庁長官を務めていた岳父・北垣国道に請われ、東京帝国大学を退任し、北海道庁鉄道部長として北海道官設鉄道の計画・建設にあたる。
●1910年 – 京都帝国大学教授に就任。
●1916年 – 京都帝国大学工科大学長に就任。
●1918年 – 京都帝国大学を退官。退官後も大阪市営地下鉄などの各地の鉄道建設計画等に関与した。
●1944年 – 死去。
田辺朔郎像周辺からの景色・wikipedia-photowikipedia-photo  (wikipedia・田辺朔郎より)]

[田辺朔郎像周辺図(「京都市上下水道局:疏水名所案内」よりダウンロード)]

田邊朔郎像 – Google Map 画像リンク

カメラ東方向が田辺朔郎像で、左碑は殉職者碑です。

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