金地院

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    金地院
    [金地院(こんちいん)は京都府京都市左京区にある臨済宗大本山南禅寺塔頭の1つ。応永年間(15世紀初頭)に室町幕府4代将軍足利義持が大業徳基を開山として洛北・鷹ケ峯に創建。江戸時代徳川家康の信任が篤く、「黒衣の宰相」と呼ばれた崇伝(以心崇伝、金地院崇伝)によって現在地に移転され、現在に至る。
    建造物
    ●本堂(大方丈)
    慶長16年(1611年)に崇伝が伏見桃山城の一部を徳川家光から賜り、移築したものという。内部は狩野探幽狩野尚信の襖絵で飾られている。重要文化財

    ●八窓席
    崇伝の依頼により小堀政一(遠州)が好んだ三畳台目の茶室。貴人座の扱い、また赤松皮付の床柱に黒塗框という取り合わせなど、小堀遠州の茶室の典型的な作例である。創建当時は名称通り8つの窓があったが,明治時代の修築で6つとなった。重要文化財。
    大徳寺孤篷庵曼殊院の茶室と共に京都三名席の1つに数えられる。
    ●東照宮
    崇伝が徳川家康の遺言により、家康の遺髪と念持仏とを祀って寛永5年(1628年)造営したもので、創建当初は日光東照宮と比された。重要文化財。
    東照宮門

    東照宮(拝殿)

    ●その他
    開山堂 – 後水尾天皇の勅額を掲げる崇伝の塔所で、左右両側には十六羅漢像が安置されている。
    明智門 – 天正10年(1582年)に明智光秀が母の菩提のため大徳寺内に建立したもので、金地院へ明治元年(1868年)に移築された。

    鶴亀の庭
    崇伝が徳川家光のために作らせた。作庭には小堀遠州が当たった(遠州作と伝えられる庭は多いが、資料が残っている唯一の例)。桃山時代の風格を備えた江戸初期の代表的枯山水庭園として知られる。特別名勝。

    国宝
    紙本墨画溪陰小築図(けいいんしょうちくず) – 応永20年(1413年)作の詩画軸。詩画軸とは、絵画とこれに関連する漢詩を1つの掛軸に表し、書画一致の境地を表すものである。本図は南禅寺の僧であった子璞(しはく)の書斎に「渓隠」と名付けたのを祝い、知人が子璞の心の中の書斎を描いたとされる。太白真玄が序を書き、大岳周崇、玉畹梵芳ら6人の著名な五山僧が題詩を寄せる。書斎図(書斎を題材とした詩画軸の一種)の現存最古の作品として知られる。これらは実際の書斎を描いたのではなく、現実には市中に住みつつも俗世間を離れた、いわば理想の心象風景として描き出している。東京国立博物館寄託。
    絹本著色秋景山水図・冬景山水図 – ともに北宋8代皇帝である徽宗筆と伝わる作品。実際の制作は南宋時代・12世紀とされる。足利将軍家所蔵の東山御物に含まれる唐物で、『御物御画目録』にも記されている。山梨県身延町の久遠寺に伝わる夏景山水図(国宝)と今は失われた春景幅とで四幅一対の四季山水であったといわれる。秋景・冬景ともに縦128.2センチメートル、横55.2センチメートルの画面で、秋風山水図は崖上で高木にもたれて天空を舞う鳥を眺めている高士が、冬景山水図は滝口の渓谷に佇む高士が描かれる[8]。両幅とも画面下左右に中国の鑑蔵印「仲明珍玩」「廬氏家蔵」、右上に足利義満の鑑蔵印「天山」がある。秋景・冬景ともに将軍足利義稙の時期に大内氏に渡り、大内氏から妙智院を経て金地院に入った。京都国立博物館寄託。
    秋景冬景山水図のうち秋景

    秋景冬景山水図のうち冬景

      (wikipedia・金地院より)]

    金地院資料リンク
    都名所図会」・「巻之三 左青龍再刻 南禅寺門内金地院 (金地院)
    南禅寺門内金地院 (金地院)(拡大図)

    都林泉名勝図会」・「巻之二 金地院(一枚目)」、「 巻之二 金地院(二枚目)」、「巻之二 金地院解説

    金地院 – Google Map 画像リンク

    金地院の大門前のカメラです。

    庫裏玄関(wikipedia-photo)

    カメラ北北東方向が明智門で、カメラ西方向が本堂(大方丈)です。

    カメラ位置は鶴亀の庭です。

    カメラ西方向方向が楼門(東照宮)です。

    楼門内・東照宮への参道のカメラです。

    東照宮境内のカメラです。

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