八坂神社

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    境内マップ | 八坂神社

    八坂神社
    [八坂神社(やさかじんじゃ)は、京都府京都市東山区祇園町北側にある神社。二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社
    全国にある八坂神社や素戔嗚尊を祭神とする関連神社(約2,300社)の総本社である。通称として祇園さんとも呼ばれる。7月の祇園祭(祇園会)で知られる。
    元の祭神であった牛頭天王祇園精舎の守護神であるとされていたことから、元々「祇園神社」「祇園社」「祇園感神院」などと呼ばれていたものが、慶応4年=明治元年(1868年)の神仏分離令により「八坂神社」と改められた。
    境内東側にはしだれ桜で有名な円山公園が隣接していることもあって、地元の氏神(産土)としての信仰を集めるとともに観光地としても多くの人が訪れている。
    正月三が日の初詣の参拝者数は近年では約100万人と京都府下では伏見稲荷大社に次ぐ2位となっている。また東西南北四方から人の出入りが可能なため、楼門が閉じられることはなく伏見稲荷大社と同じように夜間でも参拝することが出来る(防犯のため、監視カメラ設置。また、夜間でも有人の警備は行われている)。
    歴史
    社伝によれば、斉明天皇2年(656年)、高句麗より来日した調進副使・伊利之使主(いりしおみ)の創建とされる。
    牛頭天王は釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされるが、実際にはインド中国朝鮮において信仰された形跡はなく,日本独自の神である。名は新羅の牛頭山に由来するのだという説があるが,これも定説にはなっていない。そして山城国愛宕郡八坂郷に祀り、「八坂造」の姓を賜ったのに始まるとする。しかし,上記の伊利之使主創建説は現存する歴史資料からは根拠に乏しいものと批判されている。
    祭神は当初は「祇園天神」または「天神」とだけ呼称されており,牛頭天王(およびそれに習合した素戔嗚尊)の名が文献上は出てこないことから,最初は牛頭天王・素戔嗚尊とは異なる天神が祭神であり,やがて(遅くとも鎌倉時代には)牛頭天王と素戔嗚尊が相次いで習合したものと考えられている。
    古くからある神社であるが、延喜式神名帳には記されていない。これは神仏習合の色あいが濃く当初は興福寺,次いで延暦寺の支配を受けていたことから、神社ではなく寺とみなされていたためと見られるが、後の二十二社の一社にはなっており、神社としても見られていたことがわかる。平安時代中期ごろから一帯の産土神として信仰されるようになり、朝廷からも篤い崇敬を受けた。
    祇園祭は、貞観11年(869年)に各地で疫病が流行した際に神泉苑で行われた御霊会を起源とするもので、天禄元年(970年)ごろから当社の祭礼として毎年行われるようになった。
    祇園社は当初は興福寺の末社であったが、10世紀末に戦争により延暦寺がその末寺とした。1070年には祇園社は鴨川の西岸の広大の地域を「境内」として認められ、朝廷権力からの「不入権」を承認された。このころから祇園社は紀氏一族が執行家として世襲支配するようになる(宝寿院 (祇園社の社家)参照)。
    嘉禄3年(1227年)延暦寺は、法然の墓所を感神院の犬神人に申し付けて破却する。
    1384年に足利義満は、祇園社を比叡山から独立させた。だが、それで祇園社が幕府配下となったわけではなく、以降、祇園祭は経済的に力をつけていた京の町衆により行われるようになり、現在に至っている。
    慶応4年(9月8日に1月1日に遡って明治元年に改元)の神仏混交禁止により「感神院祇園社」の名称を「八坂神社」と改めた。近代社格制度のもと、明治4年(1871年)に官幣中社に列格し、大正4年(1915年)に官幣大社に昇格した。
    重要文化財建造物
    ●楼門 – 明応6年(1497年)‐西楼門とも称する。本殿の西方、四条通りの突き当たりに建つ。切妻造の楼門(2階建て門)。西楼門(重要文化財)・wikipedia-photo
    ●本殿 – 承応3年(1654年)‐一般の神社では別棟とする本殿拝殿を1つの入母屋屋根で覆った独特の建築様式になり、「祇園造」と言われる。本殿(重要文化財)・wikipedia-photo、本殿(重要文化財)細部・wikipedia-photo
    ●末社蛭子社社殿 – 正保3年(1646年)。末社蛭子社社殿(重要文化財)・wikipedia-photo
    ●石鳥居 – 正保3年‐本殿南側の正面入口に立つ。石鳥居(重要文化財)・wikipedia-photo
    参道・wikipedia-photo、南楼門・wikipedia-photo、舞殿・wikipedia-photo、狛犬・wikipedia-photo、大国主と白うさぎ・wikipedia-photo  (wikipedia・八坂神社より)]

    [西楼門は応仁の乱で焼失後、明応6年(1497)桧皮葺で再建。永禄年間(1558~1570)に瓦葺きに替えた。大正元年(1912)の京都市電四条線敷設に伴う四条通拡張に伴い、拡張四条通りの中心に向き合うように移動。同時に翼廊を建て現在の姿となりました。平成19年に瓦の葺替えや朱の塗替え等の大修復が行われ、あざやかな朱色を輝かせています。]

    月下氷人石(げっかひょうじんせき)
    [東山区祇園町北側(八坂神社南楼門外)
    江戸時代には迷子を探す手だてとして,石碑の片側に迷子の名前等を書いた紙を貼り、情報を持っている人が反対側にその情報を書いた紙を貼るという習俗があった。京都では誓願寺の迷子しるべ石、北野天満宮の奇縁氷人石,そしてこの月下氷人石が著名である。
     もともと拝殿の東、忠盛灯篭と同じ結界内(中之島)にあり、幕末に刊行された『東山名勝図会』にも描かれている。神社の「平成大修営」により平成8年9月現在地に移された。なおこの碑を仲人を意味する「月下氷人石」とよんだ由来は不明であるが,現在では通称として普及している。 (「HI019 月下氷人石 – 京都市」より)]

    八坂神社ホームページ」-「白朮(をけら)祭」、「八坂神社年間行事」-「かるた始め式」、「祇園祭

    八坂神社境内案内図

    八坂神社資料リンク
    国立国会図書館デジタルコレクション – 京都名所之内 祇園社雪中」(pdf 画像リンク)

    都名所図会」・「巻之三 左青龍再刻 祇園社 (八坂神社)」(図会の解釈お勧めサイト)、「巻之三 左青龍再刻 祇園社 (八坂神社)解説 」、「巻之三 左青龍再刻 祇園の花見」 (図会の解釈お勧めサイト)
    祇園社 (八坂神社)(拡大図)

    拾遺都名所図会」・「巻之二 左青龍首 祇園削掛 (祇園削掛神事・一枚目)」、「巻之二 左青龍首 祇園削掛 (祇園削掛神事・二枚目)」、「巻之二 左青龍首 祇園削掛神事解説
    祇園削掛 (祇園削掛神事・一枚目)(拡大図)

    [元朝寅刻・祇園削掛(ぎをんけづりかけ)
    ふる年の垢をさらりと清かんな削かけたる軒の注連縄]
    祇園削掛 (祇園削掛神事・二枚目)(拡大図)

    [祇園社削り掛の神事は例年元朝寅の刻にして、社務福寿院拝殿に於て法施奉らる。其四方には削掛の木十八所にありて、法楽終りぬればこれに火を移し、四方へ配し、又若水を汲んで奉る。是陰陽和順のしるしとかや。かの削掛の火を参詣の人々火縄にうつし家に携帰りて、元朝雑煎の焼火とす。是なん其年の疫を免るる為なりとぞ。]

    都林泉名勝図会」・「巻之二 祇園神輿濯■物(一枚目)」 [図会の解釈お勧めサイト]、「巻之二 祇園神輿濯■物(二枚目)

    花洛名勝図会」・「東山之部 一 祇園社西門 (祇園社・一枚目)」、「東山之部 一 祇園大鳥居 (祇園社・二枚目)」、「東山之部 一 祇園社・三枚目」、「東山之部 一 其二 (祇園社・四枚目)」、「東山之部 一 祇園林夜桜 (祇園社・五枚目・)」(図会解釈お勧めサイト)、「東山之部 一 寛和年中祇園社古図 (祇園社・六枚目)」、「東山之部 一 祇園社解説

    都名所画譜」・「巻之下 八坂社 (八坂神社)

    国立国会図書館デジタル化資料 – 浪花百景付都名所」 – 「都名所之内 祇園社西門」、「都名所之内 祇園大鳥居

    八坂神社 石鳥居 – Google Map 画像リンク」、「八坂神社 南楼門 – Google Map 画像リンク」、「八坂神社 西楼門 – Google Map 画像リンク」、「八坂神社 – Google Map 画像リンク

    府道143号/四条通(八坂神社前)、カメラ東方向が八坂神社・西楼門です。

    八坂神社・石鳥居前のカメラです。

    八坂神社・西楼門前・夜のカメラです。

    西楼門前のカメラで、楼門左・このカメラで南東方向に月下氷人石があります。

    八坂神社・南楼門と舞殿の間のカメラで、南楼門の西側に手水舎、東側に能舞台があります。

    八坂神社・拝殿と舞殿の間・夜のカメラです。

    カメラ北東方向が拝殿で、カメラ南南東方向が舞殿です。

    東北門内のカメラでカメラ北北西方向に日吉社があります。

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