法観寺(八坂の塔)

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法観寺(八坂の塔)
[伝承によれば、当寺の五重塔は592年に聖徳太子如意輪観音の夢告により建てたとされ、その際、仏舎利を三粒を収めて法観寺と号したという。聖徳太子創建との伝承は文字通りに受け取ることはできないが、平安京遷都以前から存在した古い寺院であることは確かとされており、朝鮮半島系の渡来氏族・八坂氏の氏寺として創建されたという見方が有力である。治承3年(1179年)に火災で焼失したが源頼朝により再建された。その後も幾度か焼失したがその都度再建されている。現在の塔は室町時代足利義教により再建されたものである。 その間、仁治元年(1240年)に臨済宗建仁寺派に属する禅寺となる。さらに暦応元年(1338年)より夢窓疎石の勧めにより足利尊氏が全国に安国寺利生塔を建てたが、都の利生塔としてはこの塔を充て仏舎利を奉納した。戦国時代には、地方から上洛した大名が当寺に定紋入りの旗を掲げることによって、誰が新しい支配者・天下人になったかを世人に知らせたという。
五重塔(重要文化財)は高さ49mで東寺興福寺の五重塔に次ぐ高さをもつ純和様、本瓦葺の建築である。中心の礎石は創建当初のものが残っておりそのまま使われている。初層内部には大日如来を中心とする五智如来像を安置する。塔の中は公開されることもあり礎石の上の心柱や諸仏を見ることができる。また階段を二層目まで登ることもでき窓から京の町並みを眺望できる。重要文化財に指定されている。他の堂宇としては、太子堂、薬師堂、茶室がある。太子堂には、聖徳太子の3歳と16歳の像がある。薬師堂には本尊の薬師如来日光菩薩月光菩薩、夢見地蔵、さらに十二神将像が安置されている。 茶室は五重塔の風鐸の音を聞くことができることから聴鐸庵という。(風鐸とは塔の軒先に吊された風鈴状のもののことである。)ほか境内には、木曾義仲の首塚と伝わる石塔もある。
八坂の塔・wikipedia-photo、塔内部・wikipedia-photo
八坂上町の町並みと五重塔

八坂の塔と紅葉俯瞰写真

  (wikipedeia・法観寺より)]

木曽義仲の首塚(法観寺・八坂の塔) – 平家物語・義経伝説の史跡を巡る

法観寺資料リンク
都名所図会」・「巻之三 左青龍再刻 八坂法観寺 (法観寺)」、「巻之三 左青龍再刻 八坂法観寺 (法観寺)解説
八坂法観寺 (法観寺)(拡大図)

[八坂法観寺(やさかほふくわんじ)
八坂の踊は文月なかばより、此さとの遊君はでなるゆかたに彦惣頭巾野郎ぼうしなどかづき、目さむるばかりにけはひして、塔のまへに輪をなしおどる也。ゆききの人見物せんと、木戸口よりはいりてかれをこれをと興じ、つひに一夜妻の媒となしぬ。寛保延享の頃まで侍りしが、今は絶てなし。]

花洛名勝図会」・「東山之部 六 霊応山法観寺 (法観寺)・八坂庚申堂」、「東山之部 六 霊応山法観寺 (法観寺)解説」、「東山之部 六 八坂庚申堂解説

都名所画譜」・「巻之上 八坂塔

法観寺(八坂の塔) – Google Map 画像リンク」、「木曽義仲首塚 – Google Map 画像リンク」、

法観寺(八坂の塔)前のカメラです。

法観寺境内木曽義仲首塚前のカメラです。

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