切り通し

マーカーは切り通しです。

切り通し
[切り通し(きりとおし)は京都市東山区内の南北の通りの一つ。北は新橋通から南は四条通までの僅か約180mの通り。距離は短いが、東の花見小路通、西の縄手通と共に、祇園の中心となる通り。
新橋通、白川南通から末吉町通の間は狭い路地のような通りであるが、新橋通などと同様、石畳が敷かれており、風情ある景観を見ることが出来る。
「切り通し、京都市東山区」・wikipedia-photo  (wikipedia・切り通し_(京都市)より)]

[寛永年間(1624年 – 1645年)に祇園社(現在の八坂神社)の門前で営業された水茶屋が始まりとされる。京都所司代板倉重宗によって茶立女(ちゃたておんな)を置くことが許可され、門前の茶屋町を「祇園町」と称するようになった。寛文年間になると四条河原町に芝居小屋が建ち、四条通と大和大路通にも茶屋が開かれるようになり、弁財天町・二十一軒町・中之町・山端町・宮川町で、「祇園外六町」と称した。享保17年(1732年)、正式に茶屋渡世の営業許可が下りると元吉町・橋本町・林下町・末吉町・清本町・富永町の「祇園内六町」が開かれ、さらに繁栄した。この際に、団子をモチーフにした紋章が作られた。この紋章は現在も祇園甲部と祇園東の紋章として使われている。  (wikipedia・祇園甲部より)]

[京都市東区に位置する《祇園新地甲部》。四条通りの北側は複数の町から構成されていますが、白川の流れの南側に位置しほぼ中央に位置しているのが末吉町です。この末吉町は北を白川、東をほぼ切り通し(と称される南北の街路)、そして南側は富永町と接し、西側は縄手通り(大和大路)を境としています。
さて、この末吉町の中央部を富永町にまたがって南北に貫く街路があります。そこは上の写真にあるとおり、「くらがり通り」と呼ばれている。碓井小三郎『京都坊目誌』(『新修京都叢書 第二十』370頁)を開くと、末吉町の項には、たしかに「富永町に通する小街を暗町[ルビは「クラガリ」]と字す」とあります。
「暗町」と書いて「クラガリ」と読む。いわれなどは一切書かれていませんが、末吉町の開通は正徳3(1713)年、富永町の開通は延享2(1745)年と開きがあり、これらはいずれも東西の通りですが、約30年のブランクがあることになる。同書によると、一本東の切り通しは宝暦2(1752)年と推測されており、東西よりも少し遅れての開発だったようです。「暗町」の開通が富永町に先立つことはないでしょうから、やはり切り通しとほぼ同じ時期の開発ということになるのでしょうか。  (「2013年 09月 – 転点notes」より)]

カメラ位置は切り通しで、2017年4月15日放送のブラタモリで切り通しが東西方向からの開発の接点で、そのため切り通し西道路端が建物建設の影響から建物敷地が変形してギザギザの町割りが残ったと案内していました。

カメラ位置は切り通しで、カメラ北方向が巽橋になります。

巽橋上夜のカメラで、カメラ南方向が切り通しです。

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