古川町橋(行者橋)

マーカーは古川町橋(行者橋)です。

古川町橋(行者橋)
[古川町橋(ふるかわまちばし)は白川に架かる橋で、日本百名橋の番外に選ばれた。行者橋、一本橋、阿闍梨橋とも呼ばれる。
今日ある橋は、1907年(明治40年)に架け替えられ(京都市橋梁台帳)、京都市の市道となっている。橋の北東には古川町商店街、南東には知恩院がある。白装束をまとった比叡山の行者が、千日回峰行の「京都大廻り」の時、この橋を渡ることで知られる。他にも、祇園祭の時は稚児が、粟田神社の祭りの時は氏子が渡る。
最初の架設年は不明である。橋本経亮の橘窓自語(1786年)に、一本橋としてあるのが文献上の初出である。
白川に架かる幅約60 cmの御影石の橋。現在の橋は1907年(明治40年)のものだが、10世紀には既にここに橋があった。古川町橋、行者橋、阿闍梨橋とも呼ばれる。

  (wikipedia・古川町橋より)]

拾遺都名所図会」・「巻之一 平安城 比叡山の阿闍梨の大社巡拝
比叡山の阿闍梨の大社巡拝(拡大図)

[比叡山の阿闍梨尊師は年毎の一夏に嶮路をいとはず、日々下山ありて華洛の大社を巡拝し給ふ。是なん天下安泰の祈祷ならんか。其道条に諸人出て阿闍梨の念珠を戴き、結縁するも真如法性の仏界にいたるのこころなるべし。
巻上る阿闍梨の笠や風薫る 衆雲逸史]

伊勢参宮名所図会. 巻之1-5,附録 / [蔀関月] [編画] ; [秋里湘夕] [撰]」・「粟田口天王祭」(1-14)

[粟田口天王祭
毎歳九月十五日昼夜二度の渡御あり。御輿なし。爪の鉾を以て振り奉る。其余氏の町よりも鉾数多持連て随ふ。其飾いたつて美麗なり。昼は粟田御殿に入り、夜は白川橋を越へ、水際を智恩院さかひの一ツ橋へ廻り、此橋の上にて曲技工妙を尽す。其路をてらす。 燎おびたゞしき事、図の如し。夜寅の刻に至る。  (「伊勢参宮名所図会」より)]
[挿絵は『伊勢参宮名所図会』巻一に載せられた粟田神社の例祭の様子を描いたもので、粟田口祭りともいわれます。江戸時代には9月15日行われる祭礼でした。今日では粟田祭の名で知られていて、10月9日・10日・15日に行われています。
 その昔、知恩院にある瓜生石より一夜にして実った瓜があり、その瓜には「牛頭天王」の文字。そこで牛頭天王をお祀りする粟田神社に奉納したとか。ちなみにこのお話は知恩院の七不思議のひとつ。この奉納に因んで行われたのが天王祭なのです。ですから天王祭の天王は、牛頭天王のことなのです。
 挿絵の解説によると、昼夜、2度の渡御があり、神輿や鉾をもって行われ、鉾には瓜などの飾り付けが施され非常に美麗であったといいます。絵の右から2番目の鉾にはこの瓜の飾り付けがされた鉾が見えます。昼には粟田神社で、夜には白川橋を越えて川沿いを知恩院方面に向かい、一つ目の橋の上で鉾の曲持ちが行われ、それぞれの持ち手が技を競いました。絵は丁度、紅葉の飾り付けをした鉾の持ち手が神妙な顔つきで技を披露しています。川沿いには篝火が焚かれ、技の一部始終を見ることができるようになっています。乳飲み子を抱いたお母さん、子たちを連れたお父さん、孫を連れたお祖父さん、見物客の中には子供の姿も多く見えます。  (「03. 名所図会類の図像解釈:nishi-note」- 「19.粟田口 天王祭」より)]

行者橋 – Google Map 画像リンク

カメラ北北西方向が古川町橋(行者橋)です。

カメラ東方向が古川町橋(行者橋)です。

カメラ位置は親水テラスで、カメラ初期設定方向が古川町橋(行者橋)です。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

*