成就院(清水寺本坊)

マーカーは成就院です。

成就院
[豊臣秀吉清水寺に130石の寺領を安堵し、徳川幕府になってもこの寺領が継承された。近世の清水寺は「三職六坊」と呼ばれる組織によって維持運営されていた。「三職」とは寺主に当たる「執行」、副寺主に当たる「目代」、寺の維持管理や門前町の支配などを担当する「本願」を指し、執行職は宝性院、目代職は慈心院、本願職は成就院がそれぞれ務めた。「六坊」はこれに次ぐ寺格を有するもので、義乗院、延命院、真乗院、智文院、光乗院、円養院の6か院である。このうち、宝性院は仁王門北方に現存する。慈心院は本堂のみが随求堂(ずいぐどう)として残っている。成就院は近代の中興の祖である大西良慶が住坊とした所で、境内北側に位置し、現在は清水寺本坊となっている。「六坊」の6か院はいずれも境内南方にまとまって所在したが、このうち真乗院は織田信長によって廃絶され、以後は成就院によって寺籍のみが継がれていた。義乗院、智文院、光乗院、円養院も廃仏毀釈の時期に廃絶し、現在は延命院が残るのみである。
●成就院 – 境内北方にある、清水寺の本坊。池泉回遊式庭園は国の名勝に指定されている。秋季などに行われる特別公開の時期を除き、通常は非公開である。なお、内部での撮影は原則として禁止となっている。2010年に中島潔が46枚の襖絵「かぐや姫・風の故郷(春夏)・風の故郷(秋冬)・大漁」を奉納した。  (wikipedia・清水寺より)]

[応仁の乱の兵火によって焼失した清水寺を、勧進活動によって再興した願阿弥上人(がんあみしょうにん)の住房として造られたのが成就院の起源です。その後、清水寺本坊塔頭(ほんぼうたっちゅう)として、本願職(伽藍整備や維持、財政の維持管理)を担当してきました。
現在の建物は、寛永16年(1639)、ときの天皇・後水尾天皇中宮であった東福門院和子(とうふくもんいんかずこ)の寄進によって再建されたもの。
幕末には月照(忍向)・信海両上人(げっしょう・しんかいりょうしょうにん)のもとに近衛忠熈公(このえただひろ)、西郷隆盛公をはじめとする勤皇の志士たちが集い、密談を交わした場所でもありました。
明治から昭和にかけては中興開山大西良慶和上(ちゅうこうかいさんおおにしりょうけいわじょう)が約70年にわたって住持しました。
見事な庭園や襖絵の数々は、毎年、期間を限って特別公開しています。  (「成就院 | 音羽山 清水寺」より)]

都林泉名勝図会」・巻之三 清水寺西門巻之三 成就院(一枚目)巻之三 成就院(二枚目)

清水寺境内図(境内図元図)

24.成就院

成就院 – Google Map 画像リンク

カメラ北方向が成就院本堂玄関で、庫裏玄関は右方向にあります。

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